日本キリスト教団砧教会 (The United Church of Christ in Japan Kinuta Church)

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砧教会説教2014年05月11日
「人生の、あるいは歴史の曲がり角で神の声を聞く」サムエル記上3章1~14節
サムエルはモーセに次ぐ、イスラエル史上の重要な預言者的人物である。それは彼の誕生物語が残されていることから明らかです。士師時代のサムソンの誕生物語を一部援用しながら、大きな誕生物語を形成している。後にこれを参照しながらルカはイエスの誕生物語を生み出したのです。
サムエルの誕生物語は不妊のハンナの切なる祈りをシロの祭司エリが神に取り次いだことから展開を始める(1章17節)。彼女は祭司エリの励ましによってにわかに前向きになり(1章18節)、その後、サムエルを身ごもったのである。そして彼を主にゆだねる決心をする。事実上、サムエルは祭司エリの養子となり、やがて祭司の下働き、わたしたちの言葉でいえば小僧として働き始める。ハンナはサムエルをエリに預けた後、かのハンナの祈りと呼ばれる祈りを残したとされる(2章1―11節)。これは一体ハンナが歌ったものか、後の時代の創作なのか?10節にはすでに王とメシアが平行して出てくるので、後の時代のものであることは明らかだが、さらに9節の「主の慈しみに生きる者」、「主に逆らう者」といった表現も捕囚期以後を暗示している。また、強者と弱者の地位の逆転といったある種のルサンチマンは、これも捕囚期以後の分離主義的精神を暗示する。ともあれ、この歌がルカのマリアの賛歌の下敷きであることは確かでしょう。
さて、その後祭司エリの息子たちの堕落が描かれます(2章12―17節)。ホフニとピネハスの二人の息子は捧げものを横領し、私腹を肥やしている。世襲の祭司制度が悪いのか、単に二人の息子の個人的な悪なのか、それとも親であるエリの責任問題と見るべきなのか、見方はいろいろですが、ともかく祭司が悪を行っている。
これについてエリは父として諌めている(2章22―26節)が、息子たちは聞く耳を持たなかった。2章27節以下には明らかに後代の余計な解説が加わっているが、これはいわゆる申命記史家の補足であり、要するに「事後預言」である。
本日の聖書はこの後の3章ですが、これはサムエルの召命記事と言えるものです。これによると、サムエルはある夜、くりかえし呼びかける声を聞いたという。少年サムエルはこれをエリの声と勘違いし、再三エリを起こすが、やがてそれが神の呼びかけであると見抜いたエリが、サムエルにその声に正しく応じるよう促した。そして、再び声を聞いたサムエルがそれに応じると、それは何と自分を指導し、支えてくれている師匠エリとその家の没落の言葉であった。これは単にエリ家の没落と言うだけでなく、サムエルは自分のよって立つ基盤が壊れて行くことを意味する。その後、サムエルは恐れながらも、師に促され、正直に師に内容を語った(18節)。
彼は神の言葉を直接聞く預言者であり、同時に事実上祭司エリに代ってシロで士師として裁いたとみられる(3章19―4章1節a)。
サムエルは、こうして一つの祭司一族の支配の終わり、あるいは制度の終わりに直面した。しかし、それだけではなく、その後の対ペリシテ戦争という危機にも直面したらしい。それは4章から7章に至る敗北と神の箱奪取およびその後の顛末において、やや詳しく、しかも民話風に描かれる。その7章の末尾ではサムエルがラマ、つまり自分の父母の町に拠点を移しており、しかもそこを中心にベテル、ギルガル、ミツパを巡回して裁いたと記される。すでにシロは神の箱が奪取され、エリ家も滅亡したことで、その権威は失われていたのだ。サムエルはこうした中を生き伸び、「生涯、イスラエルのために裁きを行った」(7章15節)とされる。
この後、サムエルは民から王を求められる(8章)。これはサムエルの晩年とされており、彼の息子たちは士師として裁いていたらしいが、この息子たちもエリの息子と同様、賄賂をとり、裁きを曲げたと言われる。民はこうした事情から王国を切望したとされる。もちろんこれは理にかなっていない。しかし、サムエルはそれを汲んで、やがてサウルに油を注ぎ、王としたのである。サムエルはその後もサウルとの確執も経て、最終的にはダビデに油を注ぎ、新たな王家を立てた。
このように、サムエルは士師時代から王国時代をつなぐ極めて重要な役割を果たした。彼の行動は王国制度を正当化すると同時に、それに足枷を嵌めている。つまり、王国は神ヤハウェの権威に従属し、つまりサムエルの権威のもとにある。言い換えれば預言者的な権威、つまりは神との直接的関係、直接に神の言葉を聞く者の下にあるという事だ。もちろんこれは大義名分である。理想は残るものの、預言者は王国制度の枠内に大半は限定され、祭司や将軍たちと並立したのだと思われる。
今日は、人生の、あるいは歴史の曲がり角で神の声を聞くことの意味を考えることがテーマです。それを、サムエル記の誕生物語をきっかけに考えたい。
3章1節には「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」と何か意味深な言葉が記されている。これは祭司エリが裁いているが、エリやその息子たちが神の言葉や幻に基づいて裁いていたのではないことを意味する。つまり、ある種の常識や慣例にそって裁いており、時代の変化や人の生き方の変化を高い視点から、つまりは超越の視点から、要するに神の言葉の発せられる地点から世界や人間を見ていなかった、あるいは見ることができなかったことを示しています。だからやがてエリは時代にも、そして自分の息子たちの罪にもなすすべがなくなったのでした。
神の声を聞く、と申しましたが、それはどこから来るのでしょうか。わたしたちキリスト者はそれをもはや直接聞くことはなかなかありません。というのも、聖書が神の言葉とされているから、直接に神の言葉を聞くという事、あるいは聞いたと主張することは、長く異端的なこととされ、仮にあったとしても、常に聖書の証言に矛盾しないかを注意深く検討しなくてはなりません。この点にキリスト教の、特にプロテスタント教会の限界があります。それは神の自由を聖書の言葉に押し込めるとみなすならそれこそ越権です。プロテスタントはこれに答えなくてはなりません。
〔しかし、他方、神の言葉を聞いたと主張する者たちを無制限に認めることになれば、どうなるか?それは恣意的な主張を神の名において行う事となり、驚くべき混乱となるでしょう(現にプロテスタント運動は、こうした流れとなって様々なセクトの生成と分裂を重ね、今に至っています。ただ、聖書主義は残している点で、まだ基準らしきものはあるのですが)。そして、それは様々な教祖ないし指導者によってある種の支配(洗脳や脅迫や「教育」)が行われ、閉じた団体がそれぞれの主張を対立させ(戦争も含む)、合従連衡を経て、何らかの均衡へ至るかもしれません。〕
サムエル記3章1節は神の言葉や幻を聞いたり見たりすることが稀であったとされている。つまり、人間の思惑の中ですべてが回っていると言ってよい。しかし、それが実は行き詰っている状況がある。その中で、祭司の制度の中で育ったサムエルは神の声を聞く。その神は実はその当時の人々の枠組みを支えている伝統的な神である限りにおいて、継続性を保持している。ただし、その後サムエルに示された言葉は祭司エリとその家族、あるいはシロという神の箱のある町を見捨てるという神自身による否定である。この言葉はサムエルにとっても自己の存在基盤を突き崩すものであっただろう。神の自由とは、実は自己否定やその生きている社会の基盤を解体するものである。これを逆の方向からみれば、例えば人生において、自分の思惑とは全く違ったこと、重篤な病になる、事故に合うこと、歴史的において、たとえば戦争や革命、経済的破綻など、一種の神の自由の発露と見なしうるかもしれない。これを幻(の言葉)として、自己の奥深くに語りかけられる言葉として表現されたものが預言であり、それを聞いた者が預言者である。
確かに今、私たちはそうした言葉を直接聞くことはまれかもしれないが、出来事として見出すことはできると思う。そもそもヘブライの思想では言葉と出来事は同じ単語でもある。
サムエルは具体的な言葉としてエリ家の没落を聞いたが、私たちは出来事として聞く。それはわが国では原発の巨大事故、憲法改正、集団的自衛権、極端な格差、世界的に見ればグローバル化による極端な貧富、民族的対立。これを神の言葉と見るなら、明らかに審判の言葉である。仮にそうならば、私たちに求められるのはこの審判の言葉を謙虚に聞き取り、再び世界を生き直すことを始めなくてはならないだろう。
少し具体的に言えば、憲法改正がなぜ神の審判なのかと言えば、それは平和を破壊する可能性を高めるという点で裁きである。巨大事故はと言えば、科学と技術への審判ではなく、一握りの権力者による一部の地域の人間への抑圧と差別に対する警告であり、裁きである。格差もおんなじ。
一つ間違うと、こうした論理は無責任な議論に見える。つまり、すべてが神の自由なら人間のやることはなく、無力であり、あきらめるほかないではないかという理屈である。しかし、それは全く誤りである。私たちはそれらの問題を、その病を、その事故を、引き受ける責任を負う。なぜなら、それを放置することは、結局自分自身を滅ぼすことになるからだ。
サムエルは神の声を聞いた。私たちキリスト者は人生の、あるいは歴史の変わり目においてサムエルと同様に神の声を聞き取る力を持っている。その理由は簡単で、現に本日もそうですが、この聖書を神の言葉(の一つ)として、現に学んでいるからです。とするなら、私たちはそれに対して応答しなくてはなりません。サムエルの応答は、しかしながら、非常に込み入っております。彼は歴史の曲がり角において、王制を導入しました。しかし、これはサムエル記そのものに見られるとおり、王制に批判的な立場とそれに肯定的な立場とが争っていたようです。これはサムエル自身が非常に困難な結論を下したことを意味し、かつ非常に困難な立場に陥っていたことを示しています。
後の人々は彼の導入した王制を、全く換骨奪胎して、メシアすなわち世の救済者へと役割を変更し、今あるキリスト教への道筋をつけました。したがって、サムエルはキリスト教自体にとって実は極めて重大な貢献を果たした者であるのです。
私たちはそのサムエルが決断を要求されたと同じように時代の変わり目において決断を要求されている。とりわけ、年老いた人々においてそうです。サムエルがその決断を求められたのは老境に入ってからでした(8章冒頭参照)。さらに言えばモーセもそうでした。彼は出エジプトの時確か80歳です。なぜ年寄りなのか?それはこの時代に対して、最も大きな責任を持つからです。それは長く生きてきた故の、責任の量によります。だから、年をとっていればいるほど、責任が大きいと言わねばならない。何か福祉や何かの対象として、守られ、慈しまれる対象として一方的に捉えられがちですが、私は逆だと思います。もちろん身体的限界については配慮がなされるべきです。しかし、それはいかなる障碍であれ、同じです。事はその生きてきた年月にある。長いほど責任は大きいのです。(加えて、年長者ほど、神の声を聞き取る可能性があると思われます。)
私たちは一見全て人間的に支配された世界に生きているが、それを別な視点から見れば、人生の、あるいは歴史の転換を促す神の言葉(出来事)に出会うことになる。そしてそれに対して、その人自身の、あるいは我々の共同体としての責任ある決断と行動を求められている。そして今がまさしくその時であると私は思います。