砧教会説教2015年3月8日
「寛容と十字架」
ルカによる福音書15章11~32節
これはルカによる福音書のなかでもよく知られた話である。これは赦しと寛容を促すたとえのように見える。このたとえ話を読んだ者にそうした態度をとるよう勧めているのである。ただし、この話を聞いた者たちの立場や身分、ジェンダーによって、赦しと寛容の捕らえ方が大きく異なるのではないだろうか。そのことを考えてみる前に、まずこの物語の筋を見ておこう。
話は父と息子二人から始まる。いきなり財産分与が話題となる。もちろんこれは遺産相続ではない。まだ父は健在で、恐らく息子たちも若いことが前提とされている。弟は未来のことを想定し、つまり、自分は長男ではないからいずれ財産の一部をもらって分家することを想定し、財産の一部を受けとる権利を行使して、予め頂いておこうと望んだ。彼はそれを使って何かことを起こそうとしたのだろうか。そこは書かれていない。しかしそれは単に放蕩に終わった。じきに彼は没落した。何と豚飼いの下働きという(おそらく差別的な)厳しい労働の後、彼は悔い改めて、父の家に戻ろうと決心する。家に向かおうと進むや、はるか遠くから父は息子を認め、彼の帰還を大喜びし歓待する。これを見た兄は不愉快になる。あるいは嫉妬する。あるいは自分への差別を強く感じる。兄はそれを父に訴えるが、父は「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。だかお前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」と諭したところで、たとえ話は終わる。
さて、この話は特定の誰かに向けられているのだろうか。
1、15章のはじめにこの話の聞き手が言及されている。「徴税人や罪人がみなイエスの言葉を聞こうイエスに近寄ってきた」(1節)とあり、さらにそれを見ていたファリサイ派や律法学者の人たちが不平を言いだしている。つまりこの話の聞き手は民衆とユダヤ社会の指導者、そして弟子たち(これは自明とする)である。
目の前にまず、ファリサイ派や律法学者を置いてみよう。すると父がイスラエルの神ヤハウェで、兄がユダヤ教徒、弟がキリスト教徒となるだろう。とすると、寛容を求められているのはユダヤ教徒であることは明らかだ。ユダヤ教徒は兄として父(ヤハウェ)の多くの遺産を相続する。それはアブラハムやモーセ、ダビデを通じて伝えられた信仰、契約、律法である。これらは全く揺るぎなく、あなたたちをこれからも支えるだろう。だから弟のキリスト教にそんなに嫉妬や不満を感じないでほしい。もっと心を広く持って、兄弟として和解すべきではないか。このような促しとして聞いたはずである。もちろん、彼らはこれを聞く耳はもたなかっただろう。
2、続いて徴税人や罪人を目の前に置いてみよう。彼らはこの話をどう解釈するだろか。彼らは自分たちの置かれた差別的な状況を、自分たちの罪の結果であるかのように思っていた者が多いだろう。決して彼らは、自分たちがユダヤの支配層から勝手な理屈で罪人とされた被害者であるとは思っていない。「自分が悪いからこうなんだ」と自己規定していたと思われる。彼らは、ユダヤの政治的支配・宗教支配の力で抑圧された結果として自分たちが今あると思ってはいない。罪人と自分で規定していたのであり、そうされた人々であると理解するのは、イエス以降であり、しかも、そうした理解は必ずしも広がらず、かえって罪人意識は強化されていった(パウロはそれを普遍化した)。それがあらためて批判されていくのはイエス研究がなされて以降のことであり(パウロ主義批判)、日本では荒井献の『イエスとその時代』において明確に罪人とは支配者によって「罪人とされた者」であることが示されたのだった。
では、こうした民衆にとってこの話は何を意味するだろうか。おそらく彼らにとって父はもちろん神ヤハウェであり、弟は自分たちである。そして兄はユダヤの支配者である。神は、悔い改めたこの罪人である私たちを赦し、受け入れてくれる。厳しく罰するのではなく、生きていてよかったと慰めてくれる神である。ならば、父である神を受け継ぐ兄もきっと父の言葉をわきまえて、罪人も、そうでない偉い人たちも共に生きることを願うだろう。ここではやはり悔い改めが基本である。同時に、罰には言及されていない。つまりユダヤ的な権力の行使、あるいは律法に基づくペナルティを無視している。要するに和解である。
3、では弟子たちならどう聞いたであろうか。イエスが異邦の女やこどもたちを受けいれるのに対し、彼らはそうした女子供を低くみていたし、またイエスを伝統的な王的メシアとして理解し、彼に従えば自分たちも偉くなれると思っていた。こうした弟子たちを見て、イエスは幾度もたしなめたのだった。もっとも小さい者を受けいれることが神の国に入る条件だ、というように。
要するに弟子たちは自分たちを兄に重ねたはずである。だから、目の前にいる民衆(罪人や徴税人)をかつて、自分たちの多くがそうであったにもかかわらず、見下し、自分たちの方がイエスの弟子として格が上であり、弟(つまり新たについてきた罪人や徴税人たち)が簡単に赦されて父であるイエスと親しくなってしまうのは、認められないといった嫉妬があったろう。こうした中で、たとえ話の最後の言葉を聞いたとき、自分に向けられていると即座に感じとったに違いない。
4、ここで、一つの見方として、イエス自身が自分に向けて語っている可能も挙げておきたい。人は他人に向けて語りつつ、むしろ自己批判したり、自分を鼓舞したりするために語ることがままある。このたとえ話を、イエス自身はどう受け止めただろうか。
イエスはファリサイ派や律法学者と対決している。そして平和より剣をもたらすとも言う。イエスは私たちが思うより、はるかに過激であり、対抗的である(例えば神殿の商人や両替商に狼藉を働いた)。彼はヤハウェ信仰の本来の意味が失われ、神の力が人間の都合で売買されているかのような当時の宗教的堕落を見過ごすことができなかった。そして、それを容認しているかのような律法学者やファリサイ派の人々と対決する。ではこの物語ではイエスは誰に重なるのだろうか。おそらく弟を悪く言う兄ではないだろうか。弟とみなすべきユダヤの支配者は父であるヤハウェから離れて、放蕩に明け暮れたが、やがて悔い改めて父に歓待されることになる。だから兄イエスは弟に寛容であるよう諭される。この「寛容であれ」という指示は、堕落の極みにあるユダヤ世界によってやがて迫害され、十字架の死へと赴くことになるイエス自身の苦しみに対して、それを受け入れるよう自分自身に求めよ、との指示ではないだろうか。つまり、イエスは自分自身を叱咤するのだ。自分は本当に寛容であるか、自分は本当に赦しているのか、罪を解き放つ資格などあるのか、などの疑問に答えるために、このようなたとえ話を自らに向けて語った気がしてくる。
実は、マタイ伝に編集されて残された山上の説教の一部は明らかにイエスの活動とは矛盾する寛容さ、赦しを強く打ち出している。イエスは自身の非常に対決的な姿勢を打ち出しつつ、しかも、いかなる危険も受け入れていく覚悟のようなものを持っていたとみえるが、それは山上の説教の寛容さや赦しの促しによって支えられていると見られる。それと同じように、この放蕩息子に対する神の赦しと寛容の姿に兄としての自分の小ささを感じとり、改めて苦難の道を、あの狭い戸口を開き続けて行ったのではないだろうか。
以上は明らかに過剰な解釈であるが、受難節のこの時、イエスの十字架の道を想起し、なぜ、かくも彼が従順であり、自らの苦難を受けいれているのかを思う時、この例え話に現れる赦しと寛容が、最終的にあの十字架に象徴されていることに気がつく。十字架とは、罪の暴きと同時に罪の滅びを象徴すると見るのが普通であるが、ここにはもう一つイエスがすべてに対して寛容であった、そしてすべてを赦していたということが示されている。いや、むしろ罪の滅びとは、攻撃して何かを滅ぼすというイメージで考えることではなく、寛容さと赦しによって罪を溶かしていくということなのかもしれない。イエスはおそらくそのことに深く気が付いていた。しかし、同時にそれだけでは実現しないことも知っている。それは、相手の側の、あるいは罪を担った、あるいは担わされた者たちが、さらには罪を担わせている人々が、その罪に気がつくこと、あるいはそこから道を引き返すこと、すなわち悔い改める、回心が先にあるということも指摘しなくてはならない。その後にはじめて、その寛容と赦しの深さに賭けるという歩みが始まるだろう。その赦しと寛容は、やがて彼自身をそうした寛容と赦しの主体に変えていくだろう。
受難節に際して、私たちはあらためて悔い改めと、その先にあるあの父の寛容と赦しに身をゆだねることの意味に気がつくのである。