日本キリスト教団砧教会 (The United Church of Christ in Japan Kinuta Church)

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砧教会説教2015年4月5日
「私たちも再び起き上がる」ルカによる福音書23章50節~24章12節
 復活の主日、おめでとうございます。この日はキリスト教の教会暦の中で最も重要な日です。キリスト・イエスの蘇りの出来事、正確には信仰上の出来事、を極めて重大なファクターとして、キリスト教はその命を繋いできたし、これからもまた繋いでいくでしょう。キリストの復活という信仰は、恐らくすべてのキリスト教徒にとって、自らの人生をキリスト教に委ねて生きていくにあたって、最も基本的な、かつ強力な動力源、エンジンであろうと思われます。この動力源がなければ、キリスト教は歴史の闇に消えたかもしれません。いくら理念や構想が立派なものでも、それを実際に実現するための動力源がなければ、やはり絵にかいた餅に過ぎないのです。
ところで、復活信仰とは、そもそも復活が事実かどうかにかかっているのではありません。最古の福音書であるマルコ伝には元来、復活物語はなく、空の墓の伝承だけであったと言われている。つまり、イエスの遺体の消息はわからない。しかし、この伝承は即座にイエスの復活へと転換した。それはすでにユダヤ教に存在した義人の復活、あるいはメシアの復活という願望的な信念と関わっている。たとえば、ダニエル書12章には迫害の中、信仰を貫いて殉じた者たちの復活が言及されている(1―3節、13節)。このような願望的な信念がイエスの出来事において実現したのだ、というのがキリスト教の主張である。とすれば、このことは願望や信念ではなく、事実の問題として考えざるを得なくなる。しかしながら、事実として主張したとしても、主張したのは弟子たちだけであり、検証はできない。そこで、最終的には、この主張を教会として「承認」することにしたのである。そしてそれが信条(クレドー)になり、教義(ドグマ)となった。さらに、この復活信仰(信条、ドグマ)は、教会に連なる意思表示をした人には、一定の儀式を媒介にして、その人自身も復活するという約束を与えたのである。つまり、キリスト信者は、イエスと同様に復活して永遠の命に与かるということである。
ところで、復活信仰は、単に義人の復活とかメシアの復活といった何か英雄的人物を顕彰するための方便ではない。なぜなら、復活したのはあの十字架上で死んだ、ユダヤ社会の反逆者と目された人物である。元来、復活信仰は抑圧されたユダヤ社会を、自らの命を顧みず、解放しようとした英雄的な軍人の死を意味づけるために生まれたのであろう。それなのに、ユダヤ社会に対する反抗者と目されたイエスがそのユダヤ教の復活信仰をもとに復活の初穂となったというのはいかにも皮肉である。しかし、これは新たに生まれたイエス集団の、非常に賢い宗教的な選択だった。伝統的なユダヤ教を逆手にとって、その株を奪ったとも言える。
復活信仰の受容に関わる経緯をあれこれ想像するのは興味深いが、最も重要なことは、この復活信仰は、単なる願望的信仰ではなく、事実的主張でもあるという二重性を持っている点である。なぜなら、単なる願望なら、それはありふれているし、キリスト教を動かす力にはなりえないのであって、逆に、復活したイエスに出会った、話した、という事実や経験の主張のほうが、全く愚かで、異常かつ、奇想天外であるがゆえに、かえって大きな力となったと言えるのである。この問題については再来週お話しするつもりです。
さて、本日はルカの物語の復活物語の一部であるが、イエスの埋葬の記事から読んでいただきました。まず登場するのはアリマタヤ出身のヨセフという議員です。彼は「善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった」(23章51節)とあり、彼がおそらくイエスの死刑には反対だったことがわかります。つまり、イエスの十字架は冤罪であることを見抜いていた。そして「神の国を待ち望んでいた」のです。そして遺体を丁寧に布でくるみ、新しい墓に収めたという。その時、「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様を見届け」(23章55節)たとされている。実は婦人たちはイエスが処刑場に連行される間、他の民衆と共に、大きな群れをなしてイエスに従ったとされている(23章27節)。イエスの処刑、そして死、さらに墓での復活の場面に登場するのは、逃げてしまった弟子ではなく、古くからイエスを慕ってきた婦人たちである。これはつとに指摘されていることであるが、このことの意味をまず考えてみたい。
婦人たちの地位は当時のユダヤ社会では低いのは当然としても、ローマ支配の地中海世界では女性の権利や主体性は相当程度有ったとされている(特にギリシアとくらべて)。しかし、ローマの女性は12歳で結婚が認められており、極めて若年のうちに結婚させられていたため、当然実態は家長の支配に服するほかはなく、おそらく現実的には当時の女性は圧倒的に不利な立場であった(『禁欲のヨーロッパ』参照)。その中で、なぜイエスの周りに多くの女性、しかも不遇とみなされる女性たちが集まったか?答えは簡単。イエスは彼女たちの立場に深く同情し、かつ、新たにともに生きる共同体を実際に形成したからである。それが教会であった。彼女たちは弟子たちのようにイエスをメシアと担いで当時のユダヤ社会における権力闘争をしかける意思はない。弟子たちは、繰り返し出て来るように、イエスを先頭に新たな共同体をつくることより、ユダヤ社会の転換をメシア運動によって図ったのだと思う。この点は、受難物語で「逃げる弟子」と「残る女性」という非常に対照的な姿から明瞭です。女性たちは革命的な幻想ではなく、今この世界における生き残り、いや本来あるべき安全で平和な暮らしの実現を望んだ。そしてそれは少しずつ実現していた。だからイエスのメシア運動(革命)の失敗を見て、責任を問われることから焦って逃げたりする必要はない。それどころか、逮捕され死刑になるとなれば、悲しみつつもかえってそばにいて、見届けることを望むのは全く自然なことだったのである。
彼女たちはその後、家に帰って、香料と香油を準備したとされる(はたして彼女たちの「家」とは何なのか?)。そして安息日(つまり土曜日)を終えると再び墓にやってきて、イエスの遺体を手厚く葬るために、つまり十字架につるされ、傷つき、穢れてしまった体を労わり、清めるために集まったのである。しかし、墓にはイエスの遺体は消えていたという。
すると、二人の天使が現れ、「なぜ、生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられた頃、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」(24章5―7節)と言った。女性たちはそのことを思い出し、墓から帰って11人とその他の人々に伝えたとされる。不思議なことに、もう弟子たちはどこかの家にいたのである。10節には具体的に女性の名が挙げられ、彼女たちが弟子たちに話すのだが、「使徒たちは、この話がたわごととのように思われたので、婦人たちを信じなかった」(10節。ちなみに、ここでルカはもう弟子とは言わず「使徒」という表現に変えている。これはルカにとってはすでに常識だったのかもしれない。)しかし、ペトロは墓を見に行った。するとそこにはくるんであった亜麻布しかなく、驚いて家に帰ったとされる。その後、エマオへの途上で現れ、やがて弟子たちにも現れとされますが、本来の復活の出来事は、天使を通じて女性たちに語られた出来事です。このやや間接的に見える復活、あるいは伝聞としての復活、遺体の不在、このようなミステリアスな出来事、あるいは謀略とも見える出来事。あるいは空想的なイメージ。これらの事実性は不明だが、一方これを何とか合理化することも可能です。つまり、イエスは死んでなかったとか、誰かが隠したとか……。
いかなる説明も実は意味がありません。なぜなら、復活の出来事は信仰の出来事であるからです。ではなぜこんな突飛な主張をあえてしたのか?それは誰かにそのことを認めさせよう、信じさせよう、とするためではありません。目的が違うのです。復活信仰は、それを現実とすることによって、つまりイエスは死んでも復活したと言明することによって、自分たちも復活できたと言うことです。これはどういう意味か?
イエスの復活とは、簡単にいえば、弟子たちの立ち上がりのことです。これはやや分かりにくい言い方ですが、もし、弟子たちがイエスの復活を主張しなかったなら、イエスの弟子たちは弟子たちのまま終わったはずです。そして彼らだけが、イエスのリアリティに与かって終わった。いやそれ以前に、女性たちが空の墓を見なかったら、弟子たちにも伝わらなかった。しかるに、女性たちも、そして最終的には弟子たちも、あのイエスの死と空の墓という事実から出発した。それをイエスが蘇ったことと信じた。この瞬間に弟子たちは、立ちあがったのです。つまり、彼らが復活した。そしておそらく女性たちも復活した。弟子たちの弱さ、後ろめたさ、恐怖は乗り越えられた。女性たちの悲しみや絶望は、逆に新たな希望へと転換した。この世の権威や秩序、暴力と差別、それらに気付かせない慣習や教育に逆らって、あのイエスに導かれた共同体のリアリティをもう一度イエスと共につくることを可能にしたのが、イエスの蘇りの信仰です。そして、それを伝える共同体は、常に自らを復活させる。つまり復活の出来事、空の墓の出来事は、イエスのリアリティを終わらせないために必要な、極めて重大なクレドーなのです。しかし、間違ってはならないのは、復活を受け入れないとキリスト教とは認めないとかいうための判定基準、あるいは差別するための条項(例えば天皇制を認めなければ日本人ではないとかいうような)となってしまうことは全くの誤りです。復活信仰とはキリスト教の持つ救済の力を持続させる原動力であるとはじめに申しましたが、それは私たちが立ち上がる、あるいは蘇る、簡単にいえば、私たちが未来を信じて前向き生きることとほとんど同時に生じている。つまり、イエスの復活から始まった、いや、弟子たちや女性たちが復活を言いだしたあの瞬間に実は年に一度たちあうことによって、さあ自分の人生をもう一度新たに生きよう、と決意することができる。それどころか、わたしたちキリスト教徒は何度でも起き上がることができる。なぜなら、復活信仰の意味が、イエスが蘇ったという空想的事実の承認ではなく、弟子たちが再び歩み出したこと、つまり彼らが未来を切り開いたという現実的な事実にあるからです。そのことを思い出すとき、私たちは再び起き上がるのです。
今日のこの日、この時、皆さんお一人お一人の現場で、もう一度起き上がって下さい。そして新たな旅立ちを始めてください。