砧教会説教2015年6月28日
「平和は悲しみを背負う」
エフェソの信徒への手紙2章11~22節
過日取り上げましたのは、1―11節まででした。そこでは「罪のために死んでいたわたしたちをキリストは共に生かし、……キリストによって共に復活させ、天の王座につかせてくださいました」(2章5―6節)と言われていました。要するに神の恵みとしてのキリストの出来事を通して、わたしたちは罪の世界から救われたという、救いの定式ないしケリュグマの言葉です。すでにイエス・キリストの出来事は、あのガリラヤから出発し、病人や貧しい者を癒し、周りに民衆を従えて、神の国の到来を預言し、自らもメシア的な振舞いを見せ、扇動的危険人物として逮捕され、さしたる罪もないのにエルサレムで十字架に架けられて死んだ、あのイエスの生(まな)の活動とはかけ離れた、なにか神話的な、仏教的に言えば観音菩薩のような、やや肥大した観念となったキリスト像になっている。なぜこうなったのだろうか?
この過程を実感として理解するのはかなり難しいが、おそらく、イエスの具体的な業(わざ)、すなわち病気の治癒その他の奇蹟的行為は、イエスの救済者(メシア、キリスト)としての資質を証明する程度のものに過ぎず、むしろ具体的な治癒つまり現世利益のレベルをひとまず捨てて、活動ではなく、その活動の終り、すなわち十字架上での死の意味の掘り下げを通して、普遍的な救済の意味を作りだそうとしたのであろう。とりわけ、パウロは、ほぼファリサイ派的なユダヤ教理解をもとに、イエスにおいて起きた出来事を、旧約聖書に書かれた預言の言葉の成就とみなし、その枠内にイエスを囲い込んだ。それはイザヤ書53章にある苦難の僕(しもべ)像をもとに、その成就としての罪の赦しがイエスの十字架の死おいて起こったとみなし、彼こそ逆説的なメシア、すなわち自らの命をもって、その仲間たちを救った偉大なメシア的人物であるとみなした。もちろんそれはイエスが死んだ後にそうみなしたのであり、結局預言とその成就の枠に入れたのである。
ところで、イザヤ書53章は、一体誰を誰から救ったのかは明記されないので、恣意的な理解が可能である。本日の断章の著者(だけでなくパウロを含めた使徒たち)は、おそらくこの苦難の僕を重ねたイエスを、異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者の対立やいがみ合いを解決する者として見ているように感じられる。つまり、イエスの死を両者の和解のための犠牲の出来事とみなすのである。ここではもはや歴史的なイエス像からはかけはなれ、神から派遣された者、(メシア、キリスト、神の子)とされているようにみえる。
こうした転換はイエスの生涯への関心を塞ぎ、むしろ十字架の出来事を宇宙的な規模での犠牲のドラマのようにみなし、大衆化させる。そしてこの大衆の中にその真意がうまく伝わるよう、ユダヤ世界に限らず広く地中海世界でおこなわれていた動物犠牲の比喩で説明する。ただし、神がアブラハムに、イサクではなく羊をもたらした(創世記22章)のとはまるで反対に、人間を救うために神自身が自らの子であるイエスを贈ってくれたと考える。ただし、人間は(一部の人々を除いて。例えばマグダラのマリア)イエスの登場の意味を理解することはできず、人間による一方的な断罪によって死刑になってしまった。しかしながら、この死はかえって子であるイエスの側から見れば、父親である神自身にむけて人間の赦しを乞う動機(つまり「主よ、お許しください。彼らは自分たちが何をしているかわかっていないのです」)になると同時に、民衆にとっては、その死後に彼の死は自分たちの罪の重さを結果的に想起させる出来事となり、さらに、それは重い罪をイエス自身が担い、かつその死によって、罪もろとも滅ぼしたのだと理解することにした。
非常に手の込んだ贖罪論であるが、広く東アジアから日本にかけて広がった、地蔵菩薩信仰と同じような仕組みで理解することが、部分的には可能である。地蔵菩薩は、身代わり地蔵、泥付き地蔵、など衆生の苦や労働などを代わりに担ってくれるという菩薩である。辞書によると「……地蔵信仰は民間で盛んになり、地蔵専修の例も出てくる。地獄に入り、信者の苦を代わって受ける地蔵の利益が、浄土往生の善根を積めず、堕地獄を恐れる民衆に受け入れられたためと思われる」(岩波仏教辞典〈地蔵信仰〉参照)とある。
おそらく新約聖書の世界には、ガリラヤのイエスの救済運動から端を発した新興のユダヤ教を、ユダヤ教の伝統を用いながら、一部換骨奪胎して普遍化し、ユダヤ教とは無関係な人々までユダヤ教的メシア信仰(キリスト信仰)のなかに包括し、もはや皆さんはすべての困難を担っていただいてしまったのだから、つまりすべての罪は贖われているのだから、もはや悩んだり苦しんだりする必要は根本的には無いのである、と語る強い確信を持った「キリスト教徒」がいたということだ。それにしても受苦のメシア、あるいは身代わり地蔵といった、やや虫のよい発想が、なぜ多くの人々の気持ちをひきつけたのか?
それは民衆の苦しみや困難が、想像を越えて存在したからである。これについてはあまり繰り返さないが、ローマ帝国の支配は驚くほどの成功を治めたものの、その裏面には大規模な地主制度とそれに伴う貧富の差、差別抑圧が蔓延していたのである。このような時代全体を、例えばユダヤ教黙示文学に連なる人々は世の終わりが近いと感じ、ファリサイ派も、表向きはヘレニズム社会の一員であるが、ユダヤ教らしく、将来の復活を信じながら律法の遵守に励む生活を送っていた。このような背景の中で、どちらかと言えば黙示文学的な指導者として現れたのが洗礼者ヨハネの弟子イエスだった。他方、この悩める民衆は自分たちの現状をユダヤ教の枠内で理解し、自分たちの罪や穢れの深さや大きさのせいであると考えてもいた。しかし他方で、現代のさまざまな苦難の真の原因は、かのローマ帝国の支配の結果であると考えるものもいた。これらの理解の混在ないし融合が、イエスの運動を外から規定したのである。
しかし、ローマと戦って真のユダヤ世界を再生させる行動はやがて失敗に終わることになるが、それより前、イエスの運動さえ、ユダヤ教自体の無理解によって、かつローマの意思も動員され、指弾され、彼自身処刑されたのだった。しかし、その後の復活信仰を通して、つまりユダヤ教の伝統にあった復活信仰の最初の実現とみなすことにして、イエスの出来事の意味を新たに考え直したのである。それが先に述べた贖罪、あるいは身代わりとしてのイエスの十字架である。
リアルなイエスを記憶している弟子たちや一部の民衆は、自分たちがイエスを見捨てた負い目を払しょくするために、イエスの死を贖罪、つまりわたしたちに代って死んでくれたと考えることにした。しかも、彼が復活したと信じ、気をとり直して、その贖罪に応えるために、イエスの出来事を伝えることにしたのである。さらに、イエスを知らないパウロは、すでにのべたようにこの出来事をいっそうユダヤ教の枠で整理し、かつファリサイ的な律法主義に傾きすぎたユダヤ教を、より普遍的なものへと、つくりかえたのである。そしてそれが新しいユダヤ教、すなわちメシアはすでにやってきて、すべてを作り替え、すべてを贖ったのだから、もはや信仰だけで良い、つまり心の向きを変えるだけで良いという、非常に易しく、かつ単純、それゆえ強力であり、大衆的である(つまり学びや研究を要する知恵のようなもの、修業のごとき律法的なもの、あるいは秘儀的なもの、あるいは金のかかる祭儀的なものはひとまずどうでもよい)ような、「キリスト教」を作り上げたのである。
イエスの生前の働きは、リアリティを失い、いわばメシアとしてのドラマとなり、やがてファンタジーとなる。それはマルコに始まりルカに終わる共観福音書に顕著である。しかしそれでも、そこにはイエスの意思は反映されている。しかし、パウロの手紙やそのエピゴーネンの文書には、もはやイエスのリアリティは失われる。なぜか?もはやイエスはいないから。では、ポスト・イエスの時代において、彼のリアリティを残すにはどうしたらよいか?いやその必要もないのではないか。イエスはすべてやり終えたのだ。もはや完成したのだと考えたのである。だからこそ、イエスを反復する必要はない、それよりも、イエスの十字架の出来事を圧倒的な規模で言祝ぐことが、かえってイエスの真意を実現できるのである。つまり、愛と平和の実現である。
そのためのテキストの一つがこの手紙であり、本日の断章である。これは小アジアの一番西側、エフェソの異邦人キリスト者に宛てられている。11節には「あなたがたは以前は肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました」とあるが、これはユダヤ人と異邦人の齟齬を示唆する。そしてその後には、彼ら異邦人は神を知らず、それゆえ希望もない人々であったと言われる。しかし「以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となった」とあるように、彼らも神に近くなったのである。しかも「キリストの血によって」とあるように書き手はイエスの十字架上の死を強く意識している。つまり、贖罪である。そして彼ら異邦人は、神に近い者となった。続く14節には「実に、キリストはわたしたちの平和であります」とあるが、これはやや舌足らずな、しかし印象的な言葉である。「平和」がキリストの述語になるのは多少奇妙であるが、およそ「平和の源」という意味であろう。「ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめ律法を廃棄されました」というのは、十字架上の死によって、人間同士の一切のわだかまり、敵対心のような罪は一掃されたし、律法という縛りも廃棄された。その結果「こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し」たと言われるのである。やや大げさな感じであるが、異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者を和解させたことを表現しているとみられる。その後に「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」とあるが、こちらはユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の和解、つまり隣人としての愛の実現だけでなく、唯一の神との和解も同時に宣言されている。つまり、人間同士の和解の面だけでなく、一つの体となったキリスト者は、イエスの死を自分の責任として、すなわち自分の罪の結果であるかのように捉え、その死においてわたしたちの罪が背負われ、かつ滅ぼされたと捉えるのである。そこには非常に強力な浄化の作用と、他方で強力な負い目も同時に新たに生じるだろう。しかし、それで良いのである。その浄化と新たな負い目は感謝に至り、そして平和へと結実する。それがここで繰り返されている「敵意」の「取り壊し」「滅び」ということである。
ここで重要なことは、実現された平和は、常に負い目を背後に持つということだ。わかりやすく言えば、平和は悲しみを背後に持つということだ。それは平和とは、つねにそれ以前の平和でなかった時と関わるからである。例えば戦後の日本は平和であったと言われる。そして平和ボケなどと言われることがある。しかしそれは根本的におかしなことで、平和とは常に争いや抑圧や差別の記憶とセットになっていなければ平和を平和として意識することができないのである。ボケていると見えるのは、つまり悲しみ、負い目を忘却しているにすぎない。
17節以下はもう一度似たようなことを繰り返している。特に目を引くのは19節「したがって、あなた方はもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり」という部分であるが、この中で興味深いのは、律法は外されて「使徒」が土台となっていることであろう。つまりこの手紙は弟子やパウロ以後の、すでに彼らによってキリスト教の信仰的土台が造られた後の時期を彷彿とさせるのである。そして真のかなめ石はキリスト・イエスであるとされ、これこそキリスト教共同体の礎であるが、この礎は正確には十字架のイエス・キリストである。つまり、そこで苦しんだキリストを見殺しにした悲しみと負い目とが真の土台である。そしてそれを通して平和があるということである。したがって、キリスト者であるためには、キリスト・イエスに象徴される「悲しみ」を忘れることなく、しかもその悲しみを通した平和の中にあることを常に心に留めておかなければならないのである。
もちろん、キリストの出来事は、最終的なものとされている。しかし、キリストの苦難はつねに時代を越えて、存在する。ということは今のわたしたちの時代でも、キリストの出来事は常に想起されなければならない。もちろんそれはアナロジーとして、である。それは歴史的なことであれ、個人的・私的なことであれ、あらゆる時代の人間の営みの中で、常に一人一人の人間を照らすであろう。そしてその光――いや反対に陰というべきか――によって、人間は新たなものに復活する。したがって、キリストの出来事は、歴史的な2000年前の出来事ではあるが、それは単なる歴史の一点ではなく、それが伝えられる限りにおいて、そのしるしは常に最終的なのである。しかし最終的であるということは、くりかえすが、終わったということではない、それは常に目指されるべき課題なのである。なぜなら、あらゆる人間は、実は途上にいるのだから。その歩みを「御父に近づくことができるのです」とこの著者は言う。もちろん、これはわたしの曲解だが、私たちはその「近づくこと」のために、毎週、あるいは時々、それぞれのリズムで礼拝する。それは自分が完全ではないこと、しかし同時にすでに約束されたものであることを確認するためである。そしてその都度において「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです」(22節)。そして次の時を、新しい週を、全く新しいわたしとして、生きることができる。教会は神と隣人との和解を経験した共同体が、新たなわたしたちとなり、世に向かって歩み出す場所である。私は、改めてそのように思うのである。