砧教会説教2015年10月4日
「キリストの命を分け合うこと」
コリントの信徒への手紙一11章23~28節
本日は世界聖餐日です。WCCの前身である世界キリスト教連合会によって1946年に始められました。要するに、第二次世界大戦の終わった後です。この悲惨な戦争の反省のもとに、世界のキリスト者が教会の一致を求めて同じ日に聖餐式をおこなうことにしたのです。教会の一致とは、非常に射程の長い問題であって、簡単にはいきません。ローマの司教座とコンスタンティノポリスの総主教が分裂したのが1054年。その後、1517年には宗教改革が始まり、ローマ教会は西欧の公同教会としての地位を失い、ルター派の教会と改革・長老派のプロテスタント教会と、ローマカトリック教会とに分かれ、時を経るにつれプロテスタント教会はさらなる分派を生み出し、今日に至っています。したがって、教会の一致というのは実は非常に難しいのです。それでも第二バチカン公会議を経たカトリック教会の開放性をもとに、1965年にはローマ教会とイスタンブール(コンスタンティノポリス)総主教は相互に承認したのでした。こうして両教会は和解したのです。しかし、2005年に教皇に就任したベネディクト16世は反動的だったせいで、やや停滞した感もあります。一方プロテスタント教会はWCCを作ったりして、教会の一致に向けた活動をしており、一定の成果はありますが、現在は一致より、各個教会の(それも財力のある)主張が目立つようです(これは一昨年のWCC総会に出た方の評価)。つまり、互い歩み寄って妥協するのではなく、いろいろな意味で強く大きな教会の主張に従う形での一致、というか覇権の承認という形になっていくのではないかということです。
キリスト教の歴史はそもそもこれ自身がユダヤ教の分派であるという性格から、その後もさまざまに集合離散を繰り返してきた。ただし、その過程で次第に皆が受け入れられる客観的な信条がまとまっていき、やがて古ローマ信条、使徒信条を経て、ニカイア・コンスタンティノポリス信条へと至るなかで、おおむねすべての教会は使徒信条とニカイア・コンスタンティノポリス信条を受け入れるようになった。これはほぼ全教会が受け入れている。それゆえ、キリスト教は宗派が異なっても、最低限の信条の一体性が最低限認められているため、最終的に「キリスト教」と呼びうるのです。もちろんその中身はあまりにも多様であることは言うまでもありません。
一方、信条(クレドー)とは別に典礼、とりわけ聖礼典(秘跡、機密)の位置づけはかなり違っています。カトリック教会と正教会は七つあり、呼び方は違うが相互に対応させています。これに対してプロテスタント教会は聖書的根拠に基づく洗礼と聖餐の二つだけを聖礼典としている点で、大きく異なります。そこで、洗礼を受けてキリスト者になっている者が完全に共通して行えるのが聖餐であるといえるでしょう。ですから、世界聖餐日という普遍的な行事が一応可能となるのです。
しかし、わたしたちはこの日を、世界のキリスト者が互いに一致しようという意志を確認する日であると同時に、この聖餐日を通じて、キリスト教徒がこの地上世界でのなすべき責務を見出し、そのための活動の指針を作り出すきっかけの日としなくてはなりません。私はキリスト者の力は非常に強く大きいと感じています。それゆえに、この聖餐日を起点として、世界の真の平和と安全を作り出す心構えを培いたいと願っています。
前回の説教でも取り上げましたが、シリア情勢は非常に深刻です。この事態の淵源はやはりアメリカによるアフガニスタンとイラクへの派兵にあります。とりわけ、大量破壊兵器を持っているはずのフセインを倒すことが世界の平和につながると信じていました。そして悲惨な戦争がおこり、非常の多くの民間人が戦争の犠牲者になりました。同時にかの国々の権力基盤を解体したので、一種の群雄割拠との状態となり、いま収拾がつかなくなっています。そしてイラクには大量破壊兵器はなかったことが明らかになり、戦争そのものがまったく無意味であったのです。しかし、取り返しがつかない事態が起きている。こんなバカな話はないが、アメリカはもはや責任を放棄しています。こうした中で、中東の秩序は劇的に解体し、エジプトでは政変が起こり、その余波からシリアのアサド政権が揺らぎ、ついに内戦に陥り、やがてはISといった極度にファナティックな集団に翻弄され、今やシリアは解体の危機に瀕しています。
一方日本はこの9月、ついに憲法を有名無実化する安保法制を可決し、アメリカの戦争を一部引き受ける決断をしました。アメリカの属国としてもはや完全に取り込まれた感じですが、これは先に述べた中東からアフリカにかけての危機と、東アジアにおける中国の覇権主義に対抗するためであることは明白です。このような中で、キリスト教が世界聖餐日として行うこの儀式は、いったい誰のため何のためになるのかを真剣に考えなくてはなりません。1946年に始めたころは西欧が中心であり、この聖餐日はキリスト教の一致を言いながらも世界の平和の再建を求めることが主眼であったと思います。しかし、今は西欧が世界の覇権を握る時代が終わり、新たな世界秩序が生まれる前夜であるとみられるので、当時のようなキリスト教が一致すれば平和が訪れるかのような幻想は、やはり「幻想」であり、むしろ新しい勢力としてのイスラムや中国、それにISのような暴力的ファシストに対して、西欧の一部であるキリスト教は一致して対抗しようという機運になるのではないでしょうか。つまり、キリスト教自身が危機に瀕するからです。もはや上から目線の、権威主義的キリスト教は通じない。それどころか、キリスト教は時代遅れでさえある。予想外の速さで進むグローバル化と高度情報化は、様々なものをあっという間に陳腐化していきます。そこで、その速さに対抗するために、まったく反対の方向つまり伝統と称した反動的な後退へと、あるいはまったくの閉鎖的なカルトへと後退していく。残念ながら、わたしたちの教団もそうした傾向があります。ただし、このような姿勢に目くじら立てても仕方がない。こうした反応はある程度必然だからです。しかし、わたしはこの世界聖餐日に、そうした反動的な姿勢でキリスト教の一致などを呼びかけたいとは思いません。それは聖餐の意味に反するからです。では聖餐の本来の意味は何だったでしょうか。
今日の聖書の箇所はパウロの聖餐理解を記しています。これはマルコ、マタイ、ルカに共通する最後のイエスの食事の記事を前提にしています。パウロはこの出来事について、たった一言ここでは述べるだけです。すなわち「あなたがた、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」と。この言葉はこれ自体ではよくわかりません。なぜこの食事を食べるごとに死を告げ知らせるのか?もちろん、これはキリストの十字架の死を指しますが、死を告げ知らせるとはどういうことでしょうか。この死はこの世の新しい始まりを意味します。マルコによれば「この世のために流される契約の血」とありますが、命を失うことが新しい契約であり、かつ神の国の始まりであるということです。しかし、これだけではわかりません。なぜキリストの死が始まりであるのか。これはこの死が私たちに代わって、あるいは私たちのために、さらには私たちのせいで起こったことであるからであり、その死を負い目としつつ私たちが生きていけるからなのです。つまり私たちの罪が明るみに出され、同時にあがなわれ、そして私たちは新たに歩みだしたからなのです。
したがって、「死を告げ知らせる」ことの意味は、わたしたちが贖われてよみがえり、神の救いにふさわしい者となったことを記念するためである。彼の死が私たちの命、新しい命であるということを想起し続けよということです。そしてそれはもちろん「主が来られる時まで」、つまり最後の裁きの時までです。その時が来ればもはやすべてが完成するので、この記念の行事も役目を終えるのです。
とういわけで、この聖餐はこれによってキリスト教が一致するとかしないとか、これを食べれば直ちに救いに与れるとか言ったまじないのようなものではありません。これを受けないと天国に行けないとかいうのでもない。なにしろ、最後の食事の時はまだキリスト教は存在せず、その食事に何らかの統合とか一致のための方便としての意味などあるはずがないからです。むしろ、救いに与るためにイエスの死をもう一度想起し、彼の死の痛みと苦しみに自分をまず重ねてみなさいということ、続いてそのあまりの衝撃のなかで私は私の限界を知り、かつあの死が自分の死でもあること、そしてその死、すなわち自分の弱さ、あるいは自分の傲慢(強さの罪)を滅ぼすことを通して、ついに私たちが生まれ変わったことを喜ぶのです。つまり聖餐とは悲しみと喜びが重なる食事なのです。
とするなら、わたしたちがこうして世界聖餐日を持つことの意味をはっきりさせることができます。罪とは人間の歴史において常に存在する。そしてそれが大きくなってしまう時代や場所があります。そうした時や場所の中で、キリストの死を告げ知らせることは、結局その時代の罪を想起することと切り離すことはできないのです。キリストの死は2000年前の出来事ですが、その死によって生まれ変わった人々の群れはいまだにここにもあそこにもいます(教会)。だからこそ、この時代と場所を、そしてこの時代を生きる私たちの、罪をしっかり見直さなければなりません。そのときに注意すべきことは、キリストを聖書に閉じ込めてしまうことです。もうすでに起こったこと、過去のこと、行事はのこっているとしても、いくら何でも2000年も前のことだから、その死が意味をもつなんて荒唐無稽であると感じる人もいるでしょう。しかし、キリストの死は至るところにあるのです。それはマタイ福音書が残しているイエスの伝承にあります。すなわち「お前たちは、わたしが飢えていたとき食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいたときにたずねてくれたからだ」という言葉は、キリストの遍在、気が付けばキリストは目の前にいることを告げています。つまり、キリストは貧困、病、迫害、の中で自らを表すのです。それゆえその痛みを通して、自分たちを問い直すことが始まるのです。私たちのために私たちのせいで彼らは苦しんでいるのではないか、と。そのときこそわたしたちは聖餐の意味に半ばまで到達する。さらにこの苦しみを乗り越えるために自分たちも働きかけよう。あのキリストの、あの貧しい人々の死が、わたしたちの新しい生き方、つまり罪に死んで命に生きることを教えたくれたのだから。こうして聖餐式は常にあらたに私たちをキリストの十字架へと召喚すると同時に、今ここでの救い、そして今ここでの新しい出発、そしていまここでの救いの業への参与、解放の業への参与を決意させるのです。
世界聖餐日だけではありませんが、これは教会の一致などというキリスト教の都合で意味を見出すものではありません。自分自身と自分が生きているこの世の、新たな救いと解放、平和と安全を祈り、そして働くための決意の時であるのです。