砧教会説教2016年3月13日
「イエスの危機を想起するて」
マタイによる福音書26章1~5節
本日はまず、震災から5年を経てなお、復興途中にある東北3県、福島・宮城・岩手の人々を想起したい。津波の被害だけでなく、原発事故の被害の大きかった福島県浜通りのことがとりわけ気がかりです。津波の後、助けを待つ人もいたに違いないが、事実上置き去りにするほかなかったのは実に無念なことです。今なお事故の収束に至っておらず、懸命の処理作業を続けているが、数十年先となるでしょう。深刻です。再稼働した原発がいきなり停止したり、原発停止を命じる仮処分が出たりと、混乱は続くが、そもそも再稼働自体が暴挙と言わざるを得ません。まだ、原発利権を温存するとは悲しむべきことです。
津波被害について言うと、例の巨大防潮堤の問題が話題になっているが、確かにこれはいかがなものかと思わざるを得ません。対策の方向性が違うとしか思えない。しかし、ことは進みつつあります。本当に大丈夫か。地元の人々は本当にこれでよいと思っているのでしょうか。
ともあれ、私たちは東北教区の震災対策の活動に少しでも協力したい。あらためて献金をお願いいたします。
さて、復活節も近くなってまいりましたので、本日はイエスの苦難について語りたいと思います。
マタイによる福音書はイエスの出来事から40年以上後に書かれたとされています。そのためイエスの活動を預言活動とみなし、紀元後70年のエルサレム神殿の崩壊と結びつける意図が明瞭です。23章にある律法学者とファリサイ派の人々への非難(これは5章冒頭の八福と真逆の不幸の言葉)、エルサレムのための嘆き、そして24章から始まる神殿崩壊預言と終末のしるしと人の子の到来、25章の世の混乱と最終的な諸民族の裁きについてのたとえ話と続きます。これらはマルコ伝に従いつつ、一部マタイ独自の資料も入れながら、非常に迫力ある記述になっています。マタイはエルサレムの終わりを経験したのでしょう。そして改めてイエスの言葉と活動の意味を洞察した。そして神殿の崩壊が自分の師であるイエスの預言の成就であったと理解したのでしょう。おそらく23-25章にかけては、イエスのメシア性、つまり王的な権威ある支配者(もちろんそれは地上の王のようなものではないが)の側面より、預言者、つまり将来を展望する者の面を強く意識しています。イエスはもちろん「権威あるものとして」教えたのであり、メシア性を持っているととらえられていますが(7章29節)、他方で、そのメシアたる自分自身がこれからどうなるかを展望するという点で、預言者のように見えます。
そして本日の26章の冒頭では「イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると」と書かれており、イエスの主な預言活動は終えたとされている。このあとにはベタニアの女による油注ぎと最後の晩餐のときの弟子たちへの発言、裁判での問答だけである。つまり人々を癒し、ともに食事をし、教えを語り、たとえを語り、将来の展望を語るイエスはもう終わったということです。この冒頭の書き方は、モーセがすべての律法を書き終え、歌を歌った後の、地の文の表現をまねていると思われる。申命記32章45節に「モーセは全イスラエルにこれらの言葉をすべて語り終えてから、こう言った」とあり、この後に最後の勧告と神によるモーセの死の決定(32章45-52節)、モーセの祝福(33章)、そして最後にモーセの死(34章)で終わっています。イエスも語り終えた後、自らの死を預言し、最終的に十字架で亡くなる。モーセの死とイエスの死は遠く隔たっていますが、実は新たに生まれたキリスト教はイエスをモーセの再来かそれ以上ととらえていますので、モーセを意識して書いたのはほぼ間違いないと思われます。
さて、復活についてはまだ先なので、本日はイエスの危機を想起したいと思います。
イエスは自分の死を予告しています(2節)。イエスはすでにペトロに自分がメシアであることを明かした後に、自分の死と復活を予告し始めます(16章21節)。さらに17章22-23節、20章17-19節でも語っています。つまり、自分の活動が死を招くだろうことはかなり初期から想定していたのです。事後的な預言の可能性もありますが、おそらくそうではない。イエスはエルサレムから離れたガリラヤを中心に活動しているとはいえ、ユダヤの伝統的な秩序を厳しく批判しているのです。イエスから見れば伝統は、せいぜい律法学者、祭司そしてファリサイ派の自己満足的な伝統にすぎず、本来のモーセの律法の趣旨からは遠く離れているのです。むしろイエスこそ本来のユダヤ教を体現しているのと考えた。しかし彼は単なる預言者ではない。むしろ民を実際に導く者であり、実践的な人間である。言葉だけの人間なら、ユダヤの体制はそれほど心配しない。しかしイエスは「権威ある者として教えた」のであるから、新しい指導者であり、それはメシアであり、王に近い、というより、王より高い者である。
だからイエスは自ら危機を呼び寄せたともいえます。それほどに困難な道を歩んでいるのです。
ところで、イエスの話は遠く離れた時代と場所を前提にしています。ここにいらっしゃる方々つまり多くの日本人にはおよそピンとこない事態です。なぜイエスの危機が問題なのか?
わたしたちはイエスが死んでよみがえったというケリュグマ、つまり初期キリスト教の信仰宣言文を前提にキリスト教を考えます。つまり、イエスがどう生きたかより、イエスが何のために死んで、しかも復活したのか、からキリスト教を考えます。つまりイエスは人々の罪を代わって担って死んだのであり、しかし同時に、死それ自体も罪の結果なのですから、死そのものも結局は乗り越えるはずである。とすると、死を乗り越えるということが復活の意味となります。わたしたちは、イエスが罪を亡ぼす死を一度だけ行ったというケリュグマに同意し、同時に自らの罪と死を彼に重ねることによって、自分たちの救い、あるいは浄化を意識して生きることができるのです。
しかし、イエスの危機とはイエスがどう生きたかの結果です。イエスはこの世のため、具体的にはガリラヤの民衆の姿に象徴され代表される人間の世界の矛盾を乗り越えようとした際の巨大な軋轢の中で、自らの命を奪われていくのです。つまり、イエスは徹頭徹尾、「この世のために」、この世の矛盾を乗り越えるために、もっと言えば人々がその命を精一杯輝かすことができる世をもたらすために「生きた」のです。その結果が今日のテキストにあるイエスの危機なのです。
この危機はモーセの物語を読むとすぐにわかります。モーセはエジプトを出たものの民の理解は得られていません。繰り返し民の反抗にさらされます。もちろん、反抗した民は罰を受けるのですが、結局モーセはその民の反抗に対する責任を担いながらカナンの地を前に死んだのでした。ではそれで終わったかというと、終わりません。むしろモーセの死後、イスラエルはこの世界に確かな地歩を固めていったのです。つまり、モーセの遺言としての律法は、当然その死後に実を結ぶのです。
これと同様に、イエスも、本来モーセの律法に基づく同胞なのに全く対立する体制派のユダヤ教指導者による弾圧だけでなく、弟子たちの無理解も含め、圧倒的な無力さのうちに、自らの死を、いや中立的な死という言葉ではなく、「十字架につけられるため引き渡される」といういわば他殺としての死を経験することになるのです。
ならば、このようなイエスの危機を想起するとき、わたしたちはどうしたらよいのでしょう。過去のイエスの危機をただ思い起こすだけでよいのでしょうか。結局それは過去のお話ではないか。キリスト教だからこの時期、つまりレントのだから、しきたりでやっている、というのでしょうか。もちろん違います。イエスの危機の想起は、今の私たちの周りにある危機の想起へと至らなくてはなりません。それは一人一人違ってよい。各人にとっての危機は、当たり前ですが、それぞれです。今自分の周りに「十字架に引き渡されそうな」人々はいないだろうか、そもそも自分自身がそうかもしれません。言い換えればこの「危機」とは罪の結果です。ならば、やはりその罪をしっかりと自覚しなくてはなりません。
結局、レントの意味に行きついてしまいました。しかし、それで終わりにすることはできません。今私たちの周りにある危機、これは今日の初めに申しましたが、やはり震災後の復興の遅れ、そして原発事故による被害の問題です。このような危機、というか困難な問題は、技術的なことに関して教会がどうこう言えることではありません。そんなことではなく、あの東北3県に、とりわけ浜通りの原発被災者が今十字架のイエスの危機と重なっているという感覚こそが大切だろうと思うのです。それは大それたことでは全くありません。自分の家族や友、愛する人にかの地の人々を重ねればよいだけです。そのとき、わたしたちはあのイエスの危機の言葉「人の子は十字架につけられるために引き渡される」を真に痛みとして理解するでしょう。そして、そこからやがて復活への希望も生まれてくるのではないでしょうか。
最後にひとこと。昨日、私はようやく渡瀬勝さんにお目にかかれました。園部さんを除いて(事情があります)、ようやくすべての会員に会えたのです。2回ほど電話でやり取りしたことがありましたが、これまで会えずにおりました。私が忙しさにかまけて、うまくタイミングを合わせられなかったのです。私は非常に気がかりでした。彼が実に活動的な教会員であることを聞いていたからです。それなのに今教会に来れないというのは身体的にも大変なのだろうと、想像だけしていたのです。昨日しばらくぶり電話がつながり、都合の良い日を聞きましたが、「今こうして電話しているなら、今日は大丈夫なのでは」と思い、「これから伺ってもいいですか」と聞きますと、「いいですよ」とのご返事。早速伺いました。明るく、実にさわやかに迎えてくださいました。
些細なことですが、私にとって渡瀬さんに会えない状態は「危機」でした。もう1年半すぎたのに声だけというのは牧師としては失格ですが、ようやくお目にかかれひとり喜んでいます。