日本キリスト教団砧教会 (The United Church of Christ in Japan Kinuta Church)

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砧教会説教2016年3月20日
「理不尽な死から信仰のたたかいが始まる」マタイによる福音書27章15~31節
 イエスの最後の三日間はもはや取り返しのつかない出来事の連続でありました。そしてその間の出来事はすべて、記憶され、後の時代に伝えられることになります。つまり、出来事はキリスト教の象徴的なものの一つとして失われてはならない事柄となるのです。十字架の予告、弟子のユダの裏切りの計画、最後の晩餐、ゲツセマネの祈り、逮捕、裁判、ピラトによる尋問と扇動された群衆の叫び、そして死刑の判決。26章―27章の記事は、すべて不可逆的に、point of no return を越えて進んでいきます。後戻りはもはやできません。
 ユダの裏切りとペトロの否認はイエスにとって、最も悲しむべきことであったはずです。しかし、それらのことさえ、すでにイエスは想定の範囲であるかのように語っています。自分のこれまでの活動は、弟子たちには正しく理解されていないと考えていた。イエスはイスラエルの伝統の中にある王的メシア、ローマからの解放者、そしてユダヤの貴族支配からの解放者、真のイスラエルの王であると、弟子たちには思われていたのです。しかし、イエスはそのような王的メシアではない。軍事的な指導者でもない。彼はひたすら世の最も困難な人と場所に赴いて、福音を伝えたのです。その中身は、あなたたちこそ、祝福されるべきであるというものでした。そして奇跡的な行為をなし、ともに食事をし、律法学者やファリサイ人と対決し、モーセの律法を差別や排除の道具として用いることを厳しく批判しました。
 このような姿を見ていながら、あるいは見ていたからこそ、弟子たちは危機を感じるどころか奇跡の英雄となると思ったのかもしれません。イエスが自分の近い将来を見通して、迫害され死を迎えることを予想しても、それをまともに取り合わなかったのです。しかし、弟子たちは最終的にはイエスを見捨てて逃げていく。ただ、これは逃げたのではなく、イエスの記憶を保持することを期していたのかもしれません。好意的に解釈するならば、ですが。
 ピラトに引き渡されたのと時を同じくして、裏切ったユダは自殺したとマタイは伝えています。彼は自分の師を売ったことの罪に耐えることができなかったのです。やがてピラトはイエスを尋問し始めます。ピラトにとってイエスの活動など問題にならないのですが、ユダヤの祭司や長老たちの求めをむげに退けることもできません。なぜなら、ユダヤの地で騒動が起これば自分の政治的な無能さを示すことになるからです。彼は丁寧にイエスを尋問しています。イエスはすでに達観しているかのように、弁明も謝罪もしません。ピラトの奥さんまで登場し、イエスの肩を持つという非常に興味深いエピソードも含まれていますが、イエスの評判は総督のすぐ近くにまで届いていたのです。
 過越し祭は恩赦のときでもあります。バラバという囚人とイエスがはかりにかけられます。群衆はイエスを十字架に、と叫ぶ。ピラトは問う。イエスにどんな罪があるのかと。しかし群衆はもはやピラトの問いを遮って叫ぶ。ピラトはついにあきらめて、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」とユダヤの群衆に下駄を預け、ついにイエスの十字架刑が非常に消極的に決定されていったというのです。
 今日はここまでしか読んでいません。あとはゴルゴタの丘への道行きとイエスの十字架上の死の出来事だけです。イエスは間もなく死んでいく。それは非常に理不尽なものであったと言えます。非常に悲惨なものです。このような出来事をまともに受け入れることができるのでしょうか。冤罪ともいえる罪状で十字架にかけられるということ。あってはならないことです。
 しかし、あってはならないこととは、実はたくさんあるのです。イエスの出来事はその象徴ともいえることかもしれません。イエスが活動していたあのガリラヤの町々で出会う人びとの姿、世から排除され、生きることのままならない人びと。彼らはイエスをメシアとして、癒され、孤独を逃れ、自分の人生を自分のものとし始めたのですが、それまでは彼らは理不尽な生活と、そして死を甘受するほかありませんでした。
 このようなイエスの時代の社会的な理不尽さによる死とは別に、私たちの時代にもそのような理不尽な出来事はたくさんあります。そもそも人生は、思い通りに行くことの方が少ないかもしれませんが、それとは別に、偶然とはおよそ言えない事件や事故、政治や外交の失敗による戦争、あるいは途方もない欲望の果てに生じた貧困など、様々な理不尽さに溢れていると言えます。そのような理不尽に直面した人はどうしたらよいでしょうか。
 その時に、出来事の、あるいは状況の意味を問うことがなければ、もっとも言えば、そこでものを考えることを停止したら、その先はありません。理不尽な出来事、死、それを問いただすことが第一歩です、と言いたいところですが、それはまだ早い。
 理不尽な出来事に直面したとき、私たちはおそらく問うことなどできません。ただひたすら、悲しむこと、嘆くことしかできない、あるいは時をもう一度戻してくれと叫ぶほかありません。つまり、絶望の淵に行かざるを得ないのです。嘆き、悲しみ、誰かを恨み、憎み、そして自分をさいなむのです。それがいつまで続くのでしょうか。それはだれにもわかりません。
 イエスの出来事は、イエス自身に即して考えると、彼が誰かを恨んでいたとか自分をさいなんでいたとかは感じることできませんが、あの最後の言葉は詩編の引用というより、なにか正気に返った感じもします。つまり、あの瞬間、現実の自分を嘆いたということです。(しかし、彼はすべて成就したと信じたかもしれません。ヨハネによる福音書はそう理解しています。)
 では弟子たちはどうだったでしょうか。十字架の死という理不尽さ、そして見捨ててしまったという極度のうしろめたさ。二重の絶望と、さらに自分たちもそうなるかもしれないという恐怖。それらが彼らを満たしていたに違いありません。
 理不尽な死を残されていく者たちの思いは、こうして八方ふさがりの様相を示します。先に進むことができない。それでも、時は流れていく。その流れに取り残されていく感覚。もはや自分には未来がないのではないかとさえ感じたとき、はじめて私たちは何かに向かって叫ぶのではないでしょうか。呼びかける、嘆きをぶつける、叫ぶ、その相手は誰だかわからない。もちろん死を引き起こした犯人ではない。もっとはるかに先にいる何かに向かって、私たちは叫ぶのではないでしょうか。このような悲しみを生きることに意味があるのかと。
 そして、その時から信仰の戦いは始まるのではないでしょうか。
 私たちは「どうして」と叫ぶ。何とかしてくださいと求める。その先にいるのはおそらく人類共通の観念「神」です。だから、その叫ぶ相手をたくさん作りました。そしてそれぞれに役目を与えて、このときはこの神に、別のときにはまた別の神に、という具合に。そしてそれを慣習にし、供え物をして、取引する。それは確かに慰めになる。しかし、それはたぶん解決にはならない。神自身が答えてくれない限り、儀式や供え物は無意味である。聖書の宗教はそのようなものを最終的に否定します。そして最後は神自身の言葉を求め、そしてそれは結局「聖書」としてまとまったのです。だから聖書の宗教であるユダヤ教もキリスト教も最後は神の「言葉」をもっとも大切なものとするのです。そのことが最もよく示されているのは、何度か礼拝でも言及しましたが旧約聖書の「ヨブ記」です。理不尽の極限を生きるヨブがひたすら神との出会いを求める戯曲風の文学作品です。そしてその理不尽な出来事を通じて、信仰のたたかいを始めた。そこには確かに救いがあるように見える。しかしこれは文学的構想です。
これに対し、イエスの出来事は現実です。だから、私たちキリスト者は、理不尽な死、理不尽な状況を経験する時、まさにその時にイエスが現れたことを想起するのです。そのときにイエスが確かにやってきた。そして癒した、ラザロをよみがえらせた、一緒にご飯を食べた、……の物語を思い出すのです。メシアは確かに私たちのもとへやってきたのだと、福音書を通して知るのです。一方、古代イスラエルの民はそのような救いの出来事の実現を、あのモーセの出来事として想起します。つまり、絶望の記憶とそこからの解放と救いの記憶。それを慰めとして、あるいはそれを「信」じてもう一度立ち上がっていくのです。つまり救い主は現れたのだということ、そしてその出来事はおそらく過去の出来事として消えていくのではなく、今ここでも同じように経験できるとみなすようになった。そのことを繰り返し経験する場所が教会であることは言うまでもありません。教会が救いとなるということの意味は、そこにイエスの出来事、そして聖書の様々な救いの言葉が生きているということです。
 しかし、そのイエスが十字架についてしまった。この絶望からそう簡単には抜け出せない。しかし、その先がある。それが次週の復活祭の主題です。