日本キリスト教団砧教会 (The United Church of Christ in Japan Kinuta Church)

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砧教会説教2016年4月24日
「信と愛でこの世の倫(みち)を包み、支える」ペトロの手紙Ⅱ 1章3~15節
 本日の聖書箇所は、少し前の祈祷会の際に選んだ箇所です。そのときなぜ選んだのかはあまり覚えていないのですが、祈祷会の日に、この個所の真意がよく分かった気がしたので、この際、説教でも取り上げて皆で共有しようと思った次第です。
 この手紙はペトロの手紙と題されてはいますが、一般に偽書とされています。このようなギリシア語でペトロが書くはずがないこと、再臨の時期が遅れていることに対する疑念が生じていることへの言及(3章4節)があること、ユダの手紙とペトロ第一の手紙の存在を知っていることなどから、相当遅い時期、例えば2世紀前半に書かれた可能性が指摘されています。つまりイエスの出来事から100年近く隔たっている可能性があります。
 正確な時期はわからないとしても、相当遅い。したがってこの手紙には、原始キリスト教がすでにシリアから小アジア、ギリシア世界に広がっていることが前提されています。つまりヘレニズム世界の人々の生活や生き方が主流となっていた世界に、キリスト教的な生き方をどのように接合するかが課題となる時代であった。その中にあって著者は、キリスト信仰を持つ人々に向かって、あらためてこの道を歩む人々にどのように対処してこの時代を生きるべきかを勧告したのだと思われます。
 3節には「主イエスは、ご自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを与えてくださいました」とある。この表現はやや回りくどい。なぜなら、イエスは端的に新しい命を与えた、あるいは救ったというべきところを、「命と信心とを与えて……」などと、意味の取りにくい抽象的なことばで語り始めているのです。命が与えられたという言葉はこの場合、キリスト教信仰に立った地点から、これまでの生き方と違う生き方を得たという感想が含められていますが、他方、「信心」と訳されている「エウセベイア」という語が「命」という語につながっています。この「信心」という語と、例えば1章1節の「わたしたちと同じ尊い信仰」という句にある「信仰」(ピスティス)とはどう違うのでしょうか。なんとなく信心も信仰も似たようなことを指している気がします。しかし、これは根本的に違います。信という感じが当てられていますが、ギリシア語ではもちろんまったく違う語です。信心とは、日本的に言えば神仏に心を向けること、つまり一般的な宗教的敬虔さのことです。例えば葬儀において死者を前にしてわたしたちはある種の身の引き締まりというか、静謐とか厳粛とか、漢字で書くとやや難しくなりますが、静かな恐れを抱きます。おそらく人間は宗教や文化が違っても、そうした共通感覚を持つのでしょう。「信心」とは日本語訳としては良くないと思います。ですからキリスト教と関係なく、そうした静謐や恐れ、敬虔と呼ぶべき心構えはあるのであって、よく「敬虔なクリスチャン」などといますが、これは単に偏見です。敬虔さはむしろ人間にとって本来、普遍的であるというべきです。
 これに対して信仰、つまりピスティスとは、特に静謐さや恐れ、敬虔さとは関係がありません。これは「他者に信頼すること」です。これは受け身の態度に見えますが、そうではありません。極めて能動的、積極的な態度です。誰かに信頼して生きるとは、その誰かがそれなりの力を持つからです。それは親であったり、お金持ちの親戚であったり、信用ある会社、あるいは王様であったり、します。なぜ能動的と言えるのか?むしろ逆ではないか。確かにそう見えますが、信仰とは自分を断念して、他に信頼するということになりますので、そこには一定の力を要するのです。つまり自分を捨てる、断念する、自分の力に頼まないということを、意図的に行うのです。だから、信仰とはきわめて積極的かつ能動的な活動になります。それはもちろん、心の内で行われる活動なので、外から見れば「敬虔な姿」に見えますが、まったく違います。自分と戦い、自分を断念し、神ないしキリストに信頼する。これは内面的な努力ですが、それが敬虔と誤解されるのです。神仏や死者を前にしての静かな恐れや敬虔さというややありふれたもの、「信心」とは違います。
 ただし、そうした「信心」や「命」といった基本的な態度も、この著者によれば、すべてイエスを通じた神の力であるとされています。要するにこの著者は、すべての人間のよき部分は神からきていると言いたいだけです。だから、そのような「命」「信心」という賜物さえ、キリストを認識することから由来するのだと言います。すなわち「それは、わたしたちをご自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです」(3節後半)。
 さて、4節では、すでにそうした力ある業で「わたしたちは尊く素晴らしい約束を与えられています。それは、あなたがたがこれらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性に与らせていただくようになるためです」と述べています。すでにこの時代のキリスト者は、ヘレニズム的世界の人間的、かつ退廃した文化的・宗教的世界を生きています。その中にあって、ユダヤ由来の「信仰」に基づく生き方をどのようにこの時代にあてはめて生きたらよいのかという問題に直面していたのでしょう。これは、やや唐突ですが、このグローバル化と市場優先の非常に危険で退廃した現代社会において、キリスト教の信に基づいて生きることが本当に意味を持つのか、というわたしたちの時代の問題意識と深くかかわる気がしています。もちろん時代は隔たっており、そして退廃の規模も中身を違うとはいえ、構えとしては似ていると思います。
 初期キリスト教、つまり使徒たち以後のキリスト教徒は、グローバルというべきヘレニズム世界において、自分たちの生き方、つまり信仰(ピスティス)に基づいて生きることと、単なる信心で生きることを区別し、当時の文化的世界でのキリスト者のとしての生活、人生について、このヘレニズム的世界を単に否定するのではなく、むしろ、その文化的世界にあるよきもの、つまりギリシア・ローマ的世界で、常識としてよきものとされている理念、あるいは生きるための指針のようなものを自分たちのなかに取り込んで生きようとしたと思われます。
 そのことが5節に表明されている端的な表現です。すなわち「だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい」。著者の考えは、簡単に言えば、信仰(ピスティス)と愛(アガペー)というキリスト教の基本、ないし根本的なものの間に、徳(アレテー)、知識(グノーシス)、自制(エンクラテイア)、忍耐(ヒュポモネー)、信心(エウセベイア)、兄弟愛(フィラデルフィア)などの、いかにもギリシア・ローマ的な徳目を置いて、当時の世界で生きていくためにそれらを組み込んだのです。こうして、初代のキリスト教は、当時のヘレニズム世界と何とか折り合いをつけながら、同時に最終的な神の国の実現を期して生きていたと言えるでしょう。
 ところで、仮に「信」と「愛」を除いてもそれほど変わらないのではないかという問いも生まれるのではないでしょうか。徳(これは良き事、という意味)、知識、自制(節制、セルフコントロール)、忍耐、信心、兄弟愛といった徳目でも十分ではないか、ということです。しかし、これは結局人間中心主義であり、これらを備えた人間が、ヒーローとなり、その人物がいわば理想的人間、模範となり、やがて信仰対象となるでしょう。美的・理想的人間であること、これが最終的なものとなるのです。
 しかし、キリスト教はその限界を知っているのです。つまり、そうした理想像が結局のところ、英雄というか戦士というか、最終的には皇帝のような人間に収斂し、理想化されていく。わかりやすく言えば、結局のところ、力ある者、エロスと力に満ちた者こそが、最高であるということになっていく、ということです。
 しかし、この著者は、確かにそれらの徳目は大切であることは認めつつも、それらは最終的に信と愛に包まれなければ、危ういものであることを知っていた。すなわち、ギリシア・ローマ的徳目は、一部の人間だけに適用可能であり、さらに一部の人間しか実現しえないものであるから、それらの人間がそうでない人間を下に置く、差別する、排除する、蔑むということが必ず生じるに決まっているということを、です。それゆえに、この著者は信と愛でこれらをくるんだ。ヘレニズムの倫理、倫(みち)、人の生き方、あり方の理想を、根本的に補い、かつ支えるものとして、「信」と「愛」を最初と最後に置いた。ただし、これら二つはすべてを支える根本であると言ってよいでしょう。かつてパウロは信仰、希望、愛のうち、愛が最も大切であると言いましたが、このことはキリスト教内部での事柄の重さに関する発言です。そしてパウロは、信仰よりもはるかに愛が大切であることを説きました。しかし、ペトロの手紙Ⅱの著者は、キリスト教の外部の倫理とのかかわりについて考えているのです。やはり、この書はキリスト教が広まっている小アジア地中海世界のより一般的な世界に住む、ヘレニズム的背景のキリスト者に向けていることは間違いありません。その中で、彼はヘレニズム世界の徳目を前提に、キリスト教を位置づけることに専念したのでしょう。それゆえ「これらのものが備わり、ますます豊かになるならば、あなたがたは怠惰で実を結ばない者とはならず、わたしたちの主イエス・キリストを知るようになるでしょう」(8節)と言う。つまり、当代の徳目を大切にせよということです。キリスト者はやがてこのようなやや落ち着き払った敬虔さ、立派さを意識的に取るようになり、キリスト教徒は、一般のギリシア・ローマ的な人々よりも、よりギリシア・ローマ的な立派さを備えているかのように見なされ、迫害されながらもやがて、その社会的信頼はかえって高まっていったのでした。
 しかし、あくまで、このような、信と愛の間にある徳目は方便でしょう。それがキリスト教の本質ではない。そのことは11節にあるように、「永遠の御国に確かに入ることができる」ためにあるのであって、決して人間的な完成とか英雄的な名誉ある者となるのではない、つまりこの世的成功のためにあるのではないのです。
 それどころか、信と愛に基づく、より直接的で情熱にあふれた活動、表面的な敬虔や静謐とはかけ離れた活動を通じて、この世に神の支配を伝えていくことが求められています。だからこの著者は、殉教していくペトロの姿に重ねながら語るのです。すなわち「自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。自分が世を去ったのちもあなたがたがこれらことを絶えず思い出してもらうように、わたしは務めます」と。
信と愛の間にギリシア・ローマ的徳目を配置し、この現実を生きること進めながら、その先にある完成、神の支配の実現を待望しつつ生きるという、キリスト教の倫理を、この著者は打ち出したと言えるでしょう。このような姿勢は、今を生きる私たちに一つの示唆を与えてくれると、わたしは思うのです。