日本キリスト教団砧教会 (The United Church of Christ in Japan Kinuta Church)

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砧教会説教2016年12月11日
「神との間に平和を得るとは?」ローマの信徒への手紙5章1~11節
 イエスを死者の中から復活させた神を信じることによって、わたしたちは神に対して正しい者とされた、つまり罪なきものとされた、赦されたのだ、とパウロは言う。1節の「信仰」とは、神に対する信仰、つまり神への忠実を取り戻すこと、神の方へと向き直ること、あるいは創造主を思い起こすこと、などと言い換えることができるだろう。このことによって、神はわたしたちを赦し、ついに神との間に平和を得ているのだ、とパウロは言う。この「平和を得ている」という表現は何を言おうとしているのだろうか。パウロの理屈を読んでくると、いったい彼が何から救われたいのか、無罪になりたいのか、が次第に分かりにくくなる。しかし、彼がファリサイ派の一員であったことからすれば、律法を通じて「完全なもの」になることを望んでいたことが想像される。では、完全であることの明確な内容とは何か?それは神のもとで永遠に生きることの叶う者ということだと思う。彼は赦しや義認ということを常に神との間のこととして考えている。それを人間的な比喩で語ろうとしているのである。それゆえわかりにくい。
 「神との間に平和を得ている」とはいまのところ神の怒りはおさまっているということだ。なぜなら、わたしたちには、イエス・キリストの働きの効果がいまだに働いているから。「今の恵みに信仰によって導きいれられ」の箇所については「信仰によって」の部分を付加とみなす提案がネストレ版にある。たしかに冗漫な感じもする。ここは「彼の(「イエス・キリストの」、ただしここは関係代名詞)お陰で、今の恵みに導きいれられ」となる。そして彼の死と復活とによって「今の恵み」すなわち神との関係の回復(つまり和解)に導かれたのである。だから、「神の栄光に与る希望を誇りとする」のである。神の栄光に与るとは要するに自分たちも最後の時に復活して神の支配の中で永遠の安心の中に生きるということ。そしてそのことの強い期待(あるいは確信)をここでは「希望」(エルピス)と呼んでいる。おそらく、これはわたしたちが「希望」という言葉から想像するよりも、ずっと強い意味を持っていると思われる。だからこそ、誇ることもできるのだ。
 さらに彼は続ける。「そればかりでなく、苦難をも誇りとします」と。これだけでは意味がわからない。なぜ苦難を誇ることができるのか?
 その説明が、よく知られた次の箇所。「私たちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望をうむということを」。苦難は、それを耐える忍耐とその成果である徳の高まりを経て、ついに希望(確信といったほうがよいだろう)に至るのだ。だから苦難はすでに希望へ出発点でさえあるのである。あまりに楽観的というか、あまりに強いというべきか。もちろん強いのである。苦難さえ希望への一里塚にすぎないのだから。パウロは苦難を問題にしないほどに、イエスの死と復活によって救いの確信を得ていたのである。この「希望(つまり確信)」は欺くことがない。つまりもう間違いなく神のもとに永遠に生きることができるのだ。彼は「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」と理由を述べる。これはわかりにくいが聖霊とはブドウの木でいえばその蔓である。もちろんこれはイエス時代の考えではおそらく地上の悪霊と対照される。つまり、善や愛、謙虚さ、悔いる心などを運ぶ天からの蔓のようなものである。そういう蔓を通して愛(アガペー)が注がれているから安心せよというわけである。
 さて、6節以下は、より込み入った説明に転じている。主題は同じ。パウロは再び犠牲の論理を持ち出す。「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった」と。これはどのように解するべきだろうか。「わたしたちが弱かったころ」とは、要するにイエス到来以前の罪人の状態、あるいはそのことに気づいてさえいない段階のことだろう。つまり、偶像崇拝していたり、地上の権威や権力におびえていたり、律法に縛られ、他者を差別し、自分を誇ったりする、逆に自分をみじめな者として卑下する状態だったころをさすのだろう。「定められた時」とは預言者によって予言されていたメシア到来の期待の高まった時代。その時代に「不信心なもののために死んでくださった」とはどういう意味か?「ために」がわからない。不信心な者を助けるために身代わりになってという意味だろうか。それにしても「死んでくださった」という表現はあまりにいかがわしい敬語表現だ。「死んでくださった」などという日本語を新共同訳も岩波の青野訳もそしてフランシスコ会訳も提示している。このあたりにイエスの死の理解の不当さが潜んでいる気がする。英訳は単に「死んだ」である。もちろんギリシア語も。「死んでくださった」、つまり死んでくれた、それゆえ私は助かったと言っているのと同じである。きちんと訳してほしいと思う。正確には自分たちの代わりに死んだ。いや身代わりに十字架で処刑されたのである。パウロはこの出来事を弟子とイエスの関係の話しではなく、より一般的な人間世界における普遍的な出来事に格上げしているのだ。イエスの死とはわれらの弱さや罪や穢れの故にそれを帳消しにするために神に犠牲として捧げられたということだが、それにしてもご都合主義な感じがする。
 ともあれ、イエスのような犠牲があってこそ、贖罪が成立するという考え方はもちろん日本にも残るが、こうした犠牲の思想は非常に危険なものである。福島原発の事故の際も、繰り返し、東北/福島の人は都会の生活の犠牲になったという意味の発言が相次いだ。これについて哲学者の高橋哲哉氏はこの発言の手前勝手さを厳しく批判した(『犠牲のシステム 福島・沖縄』集英社文庫、2011年)。要するに人に負担を押し付けて、それを有り難いこととして、申し訳ないこととして丁重に扱いながら、あるいは宥めながら、結局自分たちは負担や被害から逃れる非常に狡猾な仕組みである。このような犠牲の論理をキリスト教も受容したので、常にこのような自己欺瞞的態度に陥る危険にある。パウロは、しかし、一応丁寧に説明する。すなわち、「正しい人のために死ぬものはほとんどいない」と語るが、これはイエスが死んだのは、正しく立派な人の代わりになったのではない、そういう人は自分でちゃんとしているわけだから、なにもしなくてもよい。「善人のためなら死ぬ人もあるかもしれない」、というのは、こんな良い人が報われないなら、代わりに苦しみを受けようとする人もあるかもしれない、ということ。しかし、パウロは、罪人つまり弱い人のためなら、その人たちに代わって強い人が(つまりキリストが)死ぬべきだと考えている。要するに、犠牲とは強い者、高貴な者が進んでなるものであって、弱い人々に負わせるものでは全くない。つまり、福島や沖縄は犠牲ではなく、単に不当な抑圧の結果にすぎない。だから、本来は、福島や沖縄を救うための「犠牲」を必要とするのである。
 だから、キリストは強く、高貴である。そのような者が「死んでくださった」(ここでもこう訳している。ただ、高貴な者であるという前提で訳すと日本語ではこうなるのだろう)から、神は思い直して「愛」を示したという。唐突である。本来、赦したとか、義と認めたとかいうべきところだろう。ただ、この「愛」は日本語で言う愛ではなく、赦しや慈しみ、思い直しを主な内容とする、アガペーである。
 義と認められたから神の怒りから救われるのも当然であるとパウロは続ける。つまり、もう罰を受けることはないのだというのである(9節)。イエスの十字架の死によって、ひとまずわたしたちは神の赦しを得た。ここまでの流れでは、わたしたちはまだ神の「敵」のままである。つまり罪人のままであるが、そのままでキリストの死ゆえに神が一方的に赦しを与えたのである。続いて、このことを「和解」の出来事と捉えなおす。そして今度は「御子の命によって」救われるというのだが、これは簡単なことで、要するにイエスの復活と昇天という次の段階を踏まえたうえで、わたしたちも復活の先にある永遠の命へと救われていくということだろう。パウロにおいては常に、キリストの死と復活は連動しているのである。
 最後にパウロは「イエス・キリストによって」、つまりイエス・キリストの働きをとおしてわれらを赦し、義としてくれた神を誇りとするのだ、という(11節)。
 さて、ここまでパウロによる救いの仕組みについて、その語りに従って解き明かしてみた。ただ、彼の論理は本質的にユダヤ教の歴史観、特に紀元前後の終末論とメシア待望論に満たされた人々に向けた説明であって、これがどれほど普遍性を持つかはわからない。正直に言って、イエスの出来事を神と人間の和解の物語に普遍化することがなぜできるのかがよくわからない。イエスはユダヤ教ファリサイ派や神殿祭司たちとの宗教的抗争の挙句に、反逆者として公開処刑されたのだった。しかもローマに対する犯罪者として十字架刑に処された。これが外形的な経過である。このことがなぜここまでのドラマになるのか、あるいはそれが当時の人間(特に非ユダヤ人)にとって、そして現代のわたしたちにとっていかにして意味を持つのだろうか。この問いは簡単に答えられないが、偉大な人間は常に、その時代の具体的な課題の中で苦しみ、死んだとしても、その苦難や死はその時代や社会の文脈を超えて、人類史的な意味を獲得することがある。ゾロアスターも、モーセもゴータマ・シッダルタも、ムハンマドもそうであった。イエスもその一人であった。イエスの出来事の解釈としてのパウロの語りは、そうした普遍化の最たるものといってよい。ただし、すでにパウロ以前からそのような意図は生まれていただろう。一つは、はるか昔にさかのぼる旧約聖書のアブラハムやモーセの伝承を基に発達したユダヤ教の創造信仰と罪意識、そしてメシア(つまりキリスト)による全面的なユダヤ人の救いへの期待。これは一見すると一人相撲のような歴史理解(救済史)だが、この理解を全面的に開放することによって、イエスは単なるユダヤ人のメシア運動の失敗者ではなく、むしろ死ぬことをとおしての和解の捧げものとみなすことによって人類の罪を担う者とされていく。その和解の捧げものは、ユダヤ人のためだけでなく、異邦人も含め、すべて神から離反した者、そのことに自覚があろうが無かろうが、パウロからみて離反しているとみられる者、そして神など知らぬ者も含めて、あるいはローマの貴族たちも含めて、すべての人間を神に向けさせることを企図したものであると意味づけていった。わたしはイエスの現実の姿は完全にユダヤ教内での宗教改革者であると考えるが、その弟子たちとパウロの理解はそれをはるかに超えている。特に弟子たちは自分たちがイエスによって直接的に贖われたと感じたからだし、多くの民衆が自分のメシアであると受け止めたからである。そこからイエスは明確に信仰されるべき神の子としての地位を獲得した。なぜなら、すべての者を救うほどに高貴なもの、地位の高い者でなければ神の赦しを買い戻すことはできないからだ。イエスが次第に世の初めから神のもとにいるというファンタジーが生まれるのは、彼の地位が高くなければ、救える人は限られている、ならば、もっとも地位の高い神の子とするほかない。だからこそ、たとえばヨハネ福音書の著者は天地創造以前のイエスをロゴスとして象徴化する。そしてルカでは神の子は人間の営みとは無関係にマリアに宿る。アドベントは神の子の到来に先だって、歴史以前からの存在を主張するが、このような儀礼も、終末論と無関係ではない。今年もあと訳3週間、第3週目に入ったアドベントの週にはいったが、このパウロの救済の論理を覚えながら、皆さまがつつがなくお過ごしいただきたいと願う。