砧教会説教2017年3月5日
「イエスの活動の始まり」
マルコによる福音書1章14~20節
イエスは洗礼運動のカリスマ的指導者であるヨハネの下で洗礼を受けた。そのことはイエス自身が何か大きな悩みを、あるいは痛みを、担っていたことを暗示する。そのことを、小説家の小川国夫はイエス自身が「サタンから誘惑を受けた」という記事に読み取ったのであった。そのことについては前回話した通りである。
さて、イエスはサタンからの誘惑を経たのち、活動を始めた。前回見た13節までは神格化されたイエスを導入する著者マルコの序文的なものだろう。マルコはこの後、イエスの実際の活動を書き始める。イエスの活動は彼の指導者であったヨハネの逮捕という深刻な事態を受けて開始されたという。彼はまず、自分の故郷であるガリラヤ地方に戻り、「神の福音」を述べ伝えたという。これはイエスの出現を「福音」とする、後のキリスト教のドグマとは位相が違う。イエス自身が「神の福音」を伝えたというのは、伝えるべきよき知らせがイエスの外にあることを示している。それは「神の福音」、メシア支配の到来である。それはより具体的に言えば、ダニエル書の予言が実現することである。それによれば、世の矛盾が激しくなると同時に、神の介入の余地も大きくなる。世のゆがみや揺れは、神の出現を激しく促すのだ。そして世のゆがみや揺れは、他方で当然一人一人の人生を激しく揺り動かすだろう。そして今ある自分自身を疑わせ、将来の展望を見えなくさせるだろう。しかし、このような人生の揺らぎは、かえって本来の、あるいは本当の自分の望みを明らかにする可能性もある。時代の揺らぎは個々の人生を全く新しくする可能性があるということだ。
イエスは次のような宣言をもって活動を始めた。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(15節)。これは決定的な宣言である。すでに何度かお話ししたが、この「時が満ちた」というのは、ある季節が終わりに近いということだ。どのような季節か?それはローマの支配とユダヤの祭儀的貴族的支配が終わりに近いということである。ただし、このような地上の王権や支配層の思惑を否定し、それに代わって神の国が近づいたといっても、問題は神の国の中身である。この宣言を聞いた民衆には、しかし、自明のことであったはずである。終末論の流行っている時代であり、ヨハネも現れていた。たとえば、空想的であるが、まさに天からメシアがやってくるということだろうか?あるいは真のイスラエルの回復、すなわち、古のダビデのようなメシアが出現し、この世の体制を打倒し、このメシアが収めるイスラエルの王国の再建ということだろうか。私は前者であろうと思う。なぜなら、最後に「悔い改めて」とあるからだ。悔い改めるとは心の向きを変えるということ。腐敗したエルサレムの神殿祭儀に身を寄せることではなく、つまり現実にあるユダヤ教の律法主義的差別的な秩序に従うことではなく、そうした媒介とは無関係に、もっと直接的な救済の神を信じるということであろう。しかし、その信じるべき救済の内実はここでははっきりしない。ただ「福音」というだけである。では福音とは何か?単に神の国が来るという終末論的願望そのもののことだろうか。いや、もっと確固たる中身があるはずだ。やはり、「神の福音」つまりメシアの到来のことだろうか。そうすると、イエス自身も単なる預言者に過ぎなくなってしまう。メシアの到来を預言するイエス。これではキリスト教にならない。そうではなく、たぶんこういうことだ。「私が語る神の福音を信じよ、そしてこの福音に基づく共同体を作るのだ」ということ。どこかに福音があるのではなく、私が語る福音、私の言葉を聞けということではないだろうか。もっと言えば「私を信じろ」ということだ。とすると、この第一声はイエス自身のメシア宣言とさえいるかもしれない。預言者、すなわち神の言葉を預かった者にも似るが、そうではない。自分を信じろということは、結局実践する者、新たな権威として人を従える者とならねばならない。つまりメシアであるということだ。
それゆえ、イエスは最初から既存のユダヤ教システムと決別していただけでなく、新しい宗教的権威として活動した。新しいユダヤ教。それは当然、エルサレムの外から始まる。荒れ野のヨハネをきっかけにしつつ、さらにそれを超える「権威」として辺境の地ガリラヤから始まる。もちろん辺境といっても田舎ではない、むしろヘレニズム化の進んだ新しい文化の地でもある。しかし、彼がカリスマ的宗教運動を始めたのはガリラヤ湖周辺の漁師町である。そこで彼は弟子を集め始めた。そしてシモンとアンデレ、ゼベダイの子ヤコブと兄弟ヨハネ。この4人を弟子にした。
彼らはどのような暮らしだったのだろうか。いきなり弟子になってしまうとは奇妙である。マルコは事の経緯をほとんど書いていないが、本当に描くほどのことがなかったのかもしれない。つまり、この4人はいきなり仕事や家族を捨てたのである。なぜだろうか。もはや想像するほかないが、彼らはおそらく被差別の人々だろう。都市の住民ではない、土地を持つ農民でもない、家畜も持てない、ただガリラヤ湖の魚を取るほかない漁師である。もちろん、職業として成り立ってはいただろう。しかし、彼らは貧困と差別の中にあったのではないか。そしてなにか漠然と違う未来を想像していたのではないか。そこにイエスが現れた。彼は権威あるものとして語り、彼らにもそう映った。だから、すべてを捨てて、いきなりイエスに従ったのではないか。そんなバカな、と思うかもしれない。しかしその1500年後、スペインからインドに渡ったザビエルにとって、かの地の布教の出発点は、カーストからさえ排除された、ゴア近隣の漁師たちだった。彼らこそが、神の国の思想を受容したのだった。そのことによって彼らはこの世の支配から精神的に自由になった。神の前ではあらゆる人が平等であるということ、このことによって彼らは世の秩序の客体ではなく、それを超えた世界とのつながりを確信することで、「自由に」なったのである。そして日本に渡ったザビエルの弟子となったのも、明らかに当時の社会の末端に居た者たちだった。ザビエルの指示でインドに渡ったのも、若くてしがらみのない者、つまりは家族的紐帯の弱い若者、そして純情な者たちだったといわれる。
話は変わるが、先ごろ長崎の外海(そとめ)の教会群(黒崎、出津、大野)を訪れて頭に浮かんだのは、長崎から車で1時間ほど走った先の、山をいくつか越えた辺境の地になぜこのような立派な聖堂が立っているのかという素朴な問いであった。東シナ海を望むこの教会群は隠れキリシタンの里でもあるはずが、明治期初期にそこに入ったド・ロ神父はその地のあまりの貧しさをみて、生活の自立と信仰の涵養とを同時に進めることを決意し、その地の人々の経済的な自立のための授産施設を作ったのであった。その施設は女性の自立のため、そして自立した女性キリスト者による家族全体のキリスト教化を促進するため、という二つの目的をもっていた。この地域は半農半漁の生活であったが、貧しさは深刻だった。この地の人々がキリスト教を受容したのは、ゴア近郊の漁師がキリスト教を受容したのと似ている。以下は沖浦和光(かずてる)から学んだ知見だが(『宣教師ザビエルと被差別民』筑摩選書、2016年)、宣教師ザビエルは各地の最も貧しい人々に深い思いを抱き、ほとんどイエスの歩みを踏襲する宣教活動をしており、日本においてもそのことを実践したのであった。戦国時代の末期、日本の社会は動乱から再統一の時代に差し掛かっていたが、貴族だけでなく民衆も含めて仏教の穢れの思想に取りつかれ、不殺生の戒律に背かざるを得ない牛馬の死体を扱う者や漁師たちをけがれた者たちとして差別し、周辺化した。そのような人々がキリスト教を受容することによって、つまりこの世の秩序とは全く異なった天の国の思想を受容することによって、精神の自由を確保し、かつそこを出発点として、人生を意味づけることができたのである。そしてこれまでとは違った、希望に満ちた生活をすることができるようなった。しかし、まもなくキリスト教は弾圧され、表面的には一掃された。それでもキリシタンは信仰を独特な形で守り、明治を迎えたのである。このような希望と信仰の力がこの地域に存在したからこそ、あの外海の美しい教会群が現れたのであろう。私の当初の問いは、こうして歴史を貫く自由を信仰と希望の力によるものであるという至極まっとうな答えを得たのである。
改めてイエスの活動の端緒に戻ろう。イエスのカリスマは非常に強力なものだったに違いない。もちろん体制の中で地位を持ち、それなりに安定している者は見向きもしなかっただろうし、イエスも相手にしない。イエスは当時の世界のカースト的な差別と排除、おそらくは浄と不浄、貴と賤という二つの差別観念によって分断や序列化、そして排除や周辺化の進む世界において、この世界に住むあらゆる人間をそのような観念から解放し、あらゆる人間を神の子とみなすという極めて平等主義的な宗教運動を開始したのである。それを遂行するために弟子たちを集めた。彼らはもはやイエスの対象ではなく、弟子であり、イエスと同じ側にいるはずのものである。したがってその集団はすでに、神の国として地上に現れた新しい国であったといってよい。もちろん最初は小さかった。しかし、瞬く間に大きな集団となった。そしてそれは当時のガリラヤからユダヤにおいて無視できない勢力となっていったのだ。
さて、私たちはイエスの福音を聞いて弟子となったのではない、またイエスに出会って直接癒されたのでもない。そうではなく、イエスの出来事を通して示された贖罪と復活信仰、つまり神の愛の業を信じて新しい人間になったのである。だから、最初の弟子や信者たちと私たちは違う。彼らは、言い換えれば直接神の愛に触れたともいえるかもしれない。それでも、私たちは、イエス自身のそばにいったんは身を置きたいと願う。イエスの十字架と復活の信仰以前の、湖のほとりで語るイエス自身の語りに触れ、その力強さを直に受けたいと願う。それはかなうことではないように思われる。しかしかなうこともある。福音書を読むことがそれを可能にするのだ。私たちはつねに追体験する。イエスの活動の端緒にもどる。そのことによってイエスと出会う。イエスの活動の始まりに立ち会うことさえできる。聖書とはそのための書物である。これを通してイエスに出会った私たちは、あの弟子たち、そして最初の信徒たちと同様、曲折を経ることになるだろう。しかしそのことを経て、私たちはさらに強くなっていく。福音書はこのイエスの端緒の出来事を想起させることを通じて、私たちが常に一回り強く、かつ豊かになるよう促しているように思われる。
受難節の始まりに、イエスの活動の始まりを想起するのはやや場違いでもあるが、そこにはイエスの受難の前に人々の苦難があったこと、そしてその苦難をともに感じ取り、担うイエスの活動があったことに思い至るとき、私たちは受難の意味をより深く考えることもできる気がするのである。