砧教会説教2017年3月26日
「罪の赦しと信仰」
マルコによる福音書1章40節~2章12節
イエスは宣教するために出てきた(1章38節)。宣教の中身は神の国の到来であるが、同時にメシアとしての自分自身の到来も重ねられている。つまり、神の国の実現がイエスと共に始まったのだということである。イエスが宣教して歩くところには、すでに神の国が到来している。もちろんその完成ははるかに遠いが、それでも始まっている。それがイエス自身の意識であり、同時にマルコ福音書の著者の立場でもある。
完成とは何であるか。これは単に地上の生きている人々の救済というだけでなく、やがて過去も現在も、未来も含め、すべてにわたって救済が実現するというものとなった。もちろん、この福音書の著者マルコはまだそこまでは広げていない。現実のユダヤ世界に生きた人々の救済を念頭に置いているだろう。それでも、救済の本質は変わらないように見える。すなわち、このユダヤ世界のもっとも苦しんでいる者、もっとも罪深いとみられている人において救いは始まらなくてはならないということ、そしてそのような深刻な苦難や罪を癒し、かつ赦すことができるなら、残りの救いは簡単であるということである。
しかし、やがてわかるように、もっとも苦しく最も重いとされた苦難や罪にある人々を、その他の人々が理解する、あるいは同情することができないとしたら、イエスの活動は全く愚かで危険な活動に映るだろう。つまり、苦難や罪に喘いでいる者たちは、要するに自業自得なのであり、わたしたち健康かつ正しく生きている者とは別の人間たちであるとする人々は、イエスの活動を認め理解するどころか、彼の活動を、健康で正しいものたちの世界を破壊するものと見るのである。
したがってイエスの活動は、その時代のユダヤ世界を分断し、敵対させることになるだろう。そして実際にそうなったのである。しかしながら、このイエスの活動は本来、分断ではなく、分断されたものを元に戻す、いやあらたなつながりへと作り直すことであったと思う。つまり、苦難や罪によってすでに分断されていた世界にその克服をもたらすことなのである。
今日の個所の前半はそのようなイエスの活動のうち、もっとも重要な個所と思われる。彼のもとに重い皮膚病(癩病?、ギリシア語でレプラ、ヘブライ語でツァーラアト)を患った人がやってきた。そして「御心ならば、わたしを清くすることがお出来になります」という。するとイエスは「深く憐れんで」手の伸ばして触れ、「清くなれ」と命じると清くなったという。以前にもこの個所についてコメントしたように、イエスの深い憐れみとは心の痛切な痛みと訳されるべき言葉である。それはイエスの動揺さえ伝えていることばである。最近求めた(買い忘れていた)沖浦和光・徳永進編『ハンセン病―排除・差別・隔離の歴史』(岩波書店、2001年)には滝沢武人氏が新約学者の視点から論考を寄せているが、取税人との食事の場面について言及した後「イエスはここで、まさしく〈罪人〉(被差別民衆)の側に立ちつくしている。〈罪人〉と共に生きることをはっきり宣言し、「義人―罪人」という価値観を根本的にひっくり返しているのであって、それ以外のものではない」と書いているが、このような立場を貫くことがどうして可能なのかが一つ大きな問いである。これについて深く考察するのは控えるが、イエスはかれらの姿に自分を重ねることができた、あるいは「彼ら」は「わたしである」と入れ替えることができたという素朴なことではあるまいか。他方、ユダヤ教はその長い歴史の中で、病気や様々な穢れについての扱い方を体系化していた。その体系の集大成はタルムードであるが、滝沢の論文にはそのタルムードにあるツァーラアトの処遇について少しだけ触れている。それによるとツァーラアトの人間からは風があるときには45メートル、ない時には1.8メートル離れること、しかも地中海側からの風の影響を考慮して西側を歩くよう指示されているという。このような厳然とした差別的あるいは排除の規定が生きていた中でのイエスの行動は、まさに衝撃だったのだろう。これだけも、すでにユダヤ教の枠組みを超えている。
しかし、ユダヤ教の浄不浄の体系それ自体は悪いものではない。共同体を病気の蔓延から守るための合理的な仕組みともいえる。しかし、そのようないわば医療的合理性は最終的に一人ひとりの人間の尊厳を見失う。共同体の防御の名のもとに、一人の病人を見捨て、排除することはやがて様々な理由で少数者を差別し、かつ排除する理屈を作りだすだろう。
イエスが深く憐れんだ、あるいは激しく動揺したのは、彼らが捨てられていることへの悲しみ、他方それを許容してきたユダヤ社会の一員であることへの自責もあるのだと思える。そして彼らを救うことが実はこのユダヤ世界全体に満ちる差別や排除の仕組みを壊し、建てなおすことに至ると確信する。それでもイエスは、治した後は誰にも話さないよう厳しく注意しつつ、同時に祭司のもとに行って診断を受け、しかるべき清めの犠牲をささげて、治癒を証明せよという。イエスは、こうした治癒行為が祭司権を犯すことになることを承知しているがゆえに、事が公になることに注意を払っている。つまり、宗教的権威との軋轢を危惧しているように見える。しかし、救われた人はそんなことは気に掛けない。イエスのカリスマを喧伝する。そして「イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいないところにおられた」(1章45節)。
さてこの今日の前半の話は穢れの清めが話題であるが、このような行為は単なる祭儀的な清めではなく、彼らの生きている世界の常識を覆すことである。それは祭司権の媒介を否定することであり、言い換えれば神と直接つながることともいえる。ということは、清くされた者にはイエス自身が神の化身である、あるいはメシア(キリスト)であると信じるという態度が生じてきたのである。
さて、イエスは再びカファルナウムへと戻っている。この町は先に汚れた霊に取りつかれた人々を癒した場所であるが、今度は中風の人が連れてこられた。イエスの周りは人だかりで近づくことができないので、屋根に穴をあけてつり下ろしたとされる。この何とも言えない切迫感、他方でややずる賢くも見える者たちの態度に触れて、イエスは彼らの「信仰を見て」、「子よ、あなたの罪は赦される」と言った。注意したいのは、連れてきた人々の信仰を見て、連れてこられた人の罪が赦されたと言っている点である。連れてこられた人の信仰ではなく、その人を連れて来た人々の中風の人を何とか癒したいという止むにやまれぬ思いを、イエスのもとにもってきた行動を「信仰」とみたうえで、その信仰に免じて、この人の罪を赦すというのだ。病を治す、癒すのではなく、罪を赦すとなっているのは、この中風の人はおそらくその病の故に罪人である、その逆に罪を犯したが故の罰として中風となっているかのどちらかだが、要するに罪人なのであるから、赦すと言ったのである。イエスはここではひとまずユダヤ教の罪観念に沿って行動する。しかしそれを見ていた律法学者はそのような罪観念を当然前提にして、罪の赦しの権威の問題を提起する。つまり罪の赦しの宣言を祭司でもない一介の大工が宣言することなどあってはならない、それこそ大罪であると糾弾する。
ここからがイエスの真骨頂である。イエスは彼らに向かって何をつまらないことを言っているのだ、罪を赦すと宣言するくらい簡単なのだ、そんな口先だけの儀式などまったく取るに足らないのだ。その程度の難癖など全く取るに足らないことだ。揚げ足取りされるくらいなら、もっと本質的なことをしてあげよう、そこで「起きて、とこを担いで歩け」と命じたのである。
もはや祭儀的な赦しなど意味を持たない。罪の許しの宣言など実は無効である。わたしはその先を、その上を行くのである、とイエスは宣言したのだ。こうしてイエスはここでも彼の時代のユダヤ教の罪の赦しの権威を否定した。もちろん、イエスだって中風の人が罪を担っているという観念をもっていたかもしれない。しかし、その人を助けたいという仲間たちの思い自体が、この中風の人を罪として差別していないこと、それは単なる病にすぎず、かえって祭儀的な差別に基づく罪など無意味であることを示すと同時に、イエス自身も全くその通りだと思ったのだろう。イエスはひとまず罪の赦しを宣言するが、それは方便にすぎず、本来は罪による差別を捨て去ることを宣言したのかもしれない。
もちろんこれは深読みである。罪の赦しは信仰によるということを言いたいだけかもしれない。それでも、その罪とは、祭司や律法学者の権威によってどうなるものでもないのであり、そうした媒介に惑わされず、直接的な神の赦しを乞う以外にない。しかし、中風を罪とすることそのものが本当は罪なのかもしれない。罪を罪とする権威に対して、イエスは根本的な挑戦を始めたということができるかもしれない。
繰り返すが、イエスはそのことを、中風の人を屋根からつり下ろしてまでして癒してほしいと望んだ彼らの思いから知ったのではないか。だからもはや罪などないとつい宣言したのではないか。イエスの思いは彼らの思いに重なっている。おそらくこの止むにやまれぬ思いをアガペー、すなわち「愛」と呼ぶのだろう。それをイエスへの信に変えて彼らはやってきたのである。そしてその信仰が床を担いで歩きだすという真の赦しへと導いたのである。
今日のタイトルは「罪の赦しと信仰」であるが、実は信仰の前に止むにやまれぬ思いがあることに至った。それを愛とよぶなら、やはりこの愛こそが赦しへのそもそもの出発点であることに気づくのである。