日本キリスト教団砧教会 (The United Church of Christ in Japan Kinuta Church)

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砧教会説教2017年4月23日
「終わりの日の幻―平和に至るには努力を要する―」ミカ書4章1~8節
 4章1-3節はイザヤ書2章2‐4節と、副詞句の挿入および二か所の言葉の入れ替えを除けば同じである。どちらも、厳しい審判預言の後におかれている。おそらく、この預言を挿入した人物は、先立つ厳しい預言だけでは未来を展望することはできない、それどころか自分たちの共同体の終わりを認めるほかなくなってしまうことを危惧したのであろう。ただし、イザヤ書の方は、正確には先立つ章節とつながっていない。イザヤ書2章は表題が付けられており、これ自体が始まりであるかのように編集されている。
 これに対してミカ書4章は、章建ては新しくなっているが、元来章建て自体がなかったのであるから、前後は関連していると見るのが自然である。もちろん、これをミカ自身が継続的に書いたということはないとみられるが、編集上は一貫しているのである。つまり、編集者は3章のエルサレムが廃墟となるという深刻な預言に対して救済の幻を加えることによって一つのまとまった単元としたのである。しかし、さらにその後におそらく別の人物が4-8節の預言を加えたと思われる。これは先立つ1-3節と思想が違うように見える。1-3節がエルサレム中心の平和的世界を夢見るのに対し、4-8節は各民族がそれぞれの神を中心にしながら共存する世界を展望しているのである。このような思想はもちろん、排他的な唯一神という基本的な神学と矛盾するように見える。このような思想を前景化したのはなぜかが問われるべきだろう。以下、各節を丁寧に釈義しながら、この問いに光を当てたい。さらに、これら二つの単元を通じて、平和とは何か、それはどのように実現するのかについても、合わせて考えてみたい。
 1節には「終わりの日に」とあるが、これは将来展望なので、正確には「日々の終わりに至ると」、つまりこの歴史の終わりの時、という意味であり、おそらくこの語り手はこの歴史においての最終的な世界像を念頭に置いている。しかし、注意したいのは、日々の終わりとはそれまでの歴史が終わることを意味しており、それは完成であると同時に、新たにその完成された世界そのものの営みが始まることを同時に告げているのである。要するに、この語り手にとって、日々の終わりは新たな日々の始まりなのである。(私たちは「終わり」を「無に帰すること」と考えがちだが、旧約聖書において「終わり」とは新たな世界の「出発点」である)。
 終わりであると同時に始まりである。この新しい世界において「主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる」と言う。これはエルサレムの立つ山の変貌を描いている。数多くの山々で最高の山となるエルサレムの山。エルサレムはもちろんそれほど高い山ではない。先行する預言ではエルサレムは畑となり石塚となるとされ、高さを失うのであった。しかし、エルサレムは再び高い山となる。それどころか最も高い山になるという。これは何を根拠にしているのだろうか。単なる空疎な願望だろうか。そのようにも見えるが、神殿の場所は元来、ヤハウェ自身が選んだものであった(サムエル記下7章)。ヤハウェが選んだという信仰がもともとあったのである。それはダビデ王朝の成立と共に、ゆるぎないイデオロギーとなった。エルサレムの選びとは単に王の気まぐれではなく、戦略的に合理的であるという理由からでもなく、神ヤハウェによる選びなのである。その選びはこの語り手にとって、全く自明である。これは私たちから見れば全く独りよがりにすぎない。そして当時の諸民族にとってもそうであり、ほとんど意味をなさなかっただろう。ただし、おそらくそうした独善性は当の書き手も百も承知であったのではないか。しかしその独善的に見える思想には別な意味があったのではないか。
なるほど、一見このエルサレム中心主義は、王権的支配のイメージを重ねてしまうので、軍事的政治的中心がエルサレムであり、その権威と権力に従順であることが求められているように錯覚する。しかし、そのようなイメージで理解されるべきなのだろうか?
1節の最後の句は巡礼がイメージされている。世界の中心としてのエルサレムに人々が「大河のように」向かう。やはりこれは帝国の都に吸い寄せられる人々のイメージである。しかし、2節には人々の巡礼の目的が示されるが、そこには帝王への従順や隷属を示すためではなく、学ぶために行くのである。何を学ぶのか。まず示されるのはヤハウェの「道」(デラカウ デレクの複数プラス人称語尾)、その「道」(オルホータウ オラハの複数プラス人称語尾)である。これは同義語を複数で並べているが、たどるべき「道」がたくさんあるというのではなく(それでは混乱するだけである)、ヤハウェの示す教えが複数あることを示唆している。2節後半で、これらの「道」に対応するのが「教え」(トーラー)と「言葉」(ダーバール)であるとされている。これらはひとまずモーセの律法を指す。ではこの教えや言葉の本質は何か。それは「平和」である。
それが3節に記されている。まず「主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる」と語る。主は王として君臨するかのようである。そしてその王が民を裁く。これはやはりオリエントの世界帝国のイメージを流用しているのは間違いない。この語り手は世界帝国に君臨する王のイメージから抜けることはできない。この個所はイザヤ書の対応個所とわずかに語を入れ替えている。(わが砧教会にささげられた福田直樹氏の楽曲はイザヤ書の方をもとにつくられている。)王としてのヤハウェは民の争いを裁き、強い国々を戒めるという。これは王の権力による平定であるように見える。結局、それは軍事的に圧倒する巨大な力による、諸国の無力化のように見える。
しかしそれは次を読むと違うことがわかる。「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」という句は、平和の構築の道筋を象徴的に述べたものである。平和のためには軍事力を放棄する、武器を捨てることが必要と考えがちである。武器を持たないことが理想的な平和であるかのように思ってしまう。しかし現実には武器は存在する。武器を持たないことが平和であるとしても、一方には武器を作り、武器を持っている人が居続ける。武器は残り続ける。これに対し、イザヤ書のこの個所の言葉は、武器そのものを農具に作り替えるという積極的な働きかけを求めている。このような働きかけがないままで、一方的に武器を捨てても、捨てた武器は誰かに利用されるだろう。それでは平和は実現しないのである。
それゆえこの語り手は言う。剣や槍を打ち直せと。要するに絶えず武器を作り替える運動を続けなければ、平和は実現しないのである。このことについてはこのたび訳されたJ. モルトマンの『希望の倫理』の緒論から大いに学ぶことができた。彼は再洗礼派の流れをくむメノナイト派の武器放棄に基づく平和論の限界をこの預言をもとにして上記のような批判をしたのだった。つまり、平和とは武器を減らしていくという不断の努力なくしては、絵に描いた餅に過ぎないのである。
このような努力によって「国は国に剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」世界が実現するだろう。それが終わりの日の世界であり、そこから新しい人間の歴史が始まるのである。
さて、イザヤ書ではこの預言はここで終わり(正しくはヤコブの家への呼びかけが付く)、その先には新たな非難と審判が続く。このミカ書ではあらたな平和的世界像が加えられている(4-8節)。「人はそれぞれのぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り、脅かすものは何もないと主は言われる」とされる。人間は新たな世界において、それぞれの生活の基を持ち、安全に暮らすことができる。ぶどうの木、いちじくの木という豊かさの象徴が提示され、各人が相互に自由に生きることができる。この場合、自由とは単に奴隷状態から解放された状態ではなく、自分の思いを実現するための経済的豊かさと文化的豊かさすなわち教育・教養に基づく選択の自由を意味する。
続いて5節では極めて重要な思想が語られる。すなわち「どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。我々はとこしえにわれらの神ヤハウェの名によって歩む」。この語り手は宗教的多元主義を認めている。民族ごとに神はいる。各民族はその神のもとに一つとなって歩む。イスラエルも同様で、彼らはヤハウェの名のもとに一つとなって歩むのである。すると天地を創造した神とは違う、いわば氏神のようなものを中心とした共同体を想定しているように見える。このようなヤハウェの相対化は、例えば第二イザヤの超越的な唯一神の主張とは大きく異なっている。第二イザヤにとっては、ヤハウェがその他大勢の神の中の相対的な一員であることなどおよそ認められないのであった。超越的な神の支配によって地上の王権は完全に相対化され、それらは取るに足らないものとなったのである。もちろんこれはごまめの歯ぎしりでもあり、単に大言壮語でしかないが、それでも新バビロン帝国崩壊期に生きた第二イザヤにとって、ヤハウェとは地上世界を超越する唯一の支配者であった。そしてペルシア王キュロスさえ、ヤハウェの支配の道具に過ぎない。しかしこの個所ではヤハウェは相対的な神の一人でしかない。なぜこのような逆転した観念に至ったのか。
おそらく事情はこうであろう。ペルシア帝国の支配のもとでオリエント世界の諸民族諸文化は相対化されると同時に、包括されたのである。その中で生き残るには自分たちの神を格下げするほかはない。そしてその地域の神々と共存しなくてはならない。自分たちの神だけが神であるだけでなく、その他の神は神ではないという主張は全く独善であり、ペルシア帝国内部において異端的となるだろう。それゆえ、ここでは自分たちの宗教は相対的なものとし、帝国の支配下における共同体の一単位として自分たちを位置付けるほかはなかったのだろう。ヤハウェ宗教はこうして一時、相対的な民族宗教となった。そしてそれが本流になっていく。
しかしそれでもなお、この語り手は「その日」すなわり「終わりの日」の幻を語る。彼はまず、バビロン捕囚となった人々を念頭に置きながら、「わたしは足の萎えた者を集め、追いやられた者を呼び求める」と語る。「足の萎えた者」とはバビロンへと歩いて連行された捕囚民を指すのだろう。7節でははっきりと「私は足の萎えた者を残りの民としていたわり、遠く連れ去られた者を強い国とする」と捕囚民の優位を主張し、帰還後に新たに建設された神殿にヤハウェが王として即位し、おそらく捕囚から帰還した人を導くことになるのである。8節の「王権」は地上の王とメシア的王のどちらかであるが、おそらくこれはダビデ王朝の復権を意味すると思う。すなわち独立した王国の再建である。
結局、この預言において「終わりの日」に始まるのは新たなイスラエルであることがわかる。終わりの日とは何もなくなる日なのではなく、歴史の苦痛に耐えてきたイスラエルの民に「かつてあった主権」が回復される日であり、始まりの日なのである。
語り手はあきらめない。捕囚から解放されたが、ペルシア帝国の圧倒的な支配を前にして、この語り手は「主権」の回復を求め続けたのである。