砧教会説教2017年5月14日
「蒔かれた神の言葉は実っただろうか」
マルコによる福音書4章1~9節、13~20節
日本にキリスト教が伝わったのが1549年。これは宗教改革の始まりからわずか30年である。カトリック教会はプロテスタントの活動に対して、いわゆる対抗宗教改革を始め、ヨーロッパを出て、世界宣教に本格的に取り組み始める。特にイエズス会、フランシスコ会、ドミニコ会など各修道会が、それぞれの植民地国家の権力を背景に、アフリカ、インド、東南アジア、そして日本へと活動を展開した。いわゆるグローバル化の端緒は、この時代にあると言ってよいだろう。今よりはるかに技術は未熟でも、ヨーロッパの商人とキリスト教の伝道者は強靭な意志とほとばしる情熱、そして政治的野心を抱きつつ、世界を徐々に手に入れて行った。その過程のなかで彼らは日本にたどり着いたのである。
その国は戦国時代末期で、国家の再統一がなされる前夜であった。そしてカトリック教会の指導者たちは迫害を受ける者もいたが、かえって大名の庇護を受ける者もあり、一時は60万人にまで達したと言われる。当時の人口が2000万程度とすれば、人口の3パーセントに達する(人口が1200万との推計もあるので、5パーセントの可能性もある)。外来の宗教が短期間に人数を増やせたのは驚きであるが、その後、豊臣と徳川による排除や弾圧によって、その数は激減し、やがてキリシタン禁制の高札が各地にたてられ、キリスト教は表面的には消滅した。しかし、隠れてキリストを拝む者がおり、彼らは200年を超える年月、オラシオを口伝で伝えたのであった。
このようなけなげな献身的な信徒の働きがその後どれほど意味を持ったのかはさだかでない。明治以降、キリスト教は解禁され、カトリック、プロテスタント問わず、文明開化の流れの中で、急速に広まった。しかし、それは結局欧米の文化の一つとして受容されたのであり、宗教として受容されたのはほんの一部の人々によってである。なぜなら、日本は明治以降、中央集権的な国家を樹立するに当たり、神道を鼓舞し、国家神道を樹立し、その祭祀の中心に天皇を据え、これを同時に国家の統治権を総攬する者とした。天皇は統帥権も付与された絶対的な統治者となり、現人神とされた。日本は宗教的には完全に画一化されたと言えるだろう。その中でキリスト教はそれなりに生き延びたが、キリスト教の蒔かれた土地は、イエスのたとえで言えば、茨の土地に蒔かれたと言えるかもしれない。
しかし、キリスト教自身も、16世紀にはスペインとポルトガルの植民地支配と連動した宣教であり、それに巻き込まれた「未開」世界は、キリスト教の受容と植民地化は一体であった(アフリカ、ラテンアメリカ、フィリピンなど)。そのことの問題を見ずに、キリスト教が広まったことが単純に喜ばしいとは言えない。19世紀の布教も似た側面がある。これは16世紀よりも発展した近代の帝国主義的支配と連動していた。それは開国させられた日本によりはっきりと見える。アメリカの「黒船」による恐喝を通じて、キリスト教がはいってきた。それはもちろん、福音の世界宣教、すなわち種蒔きである。福音の種蒔きとしては、その政治的経済的背景はどうあれ、ある程度うまくいったようにみえる。それは明らかに宣教師たちの人格の高さによると思われる。他方、東洋の文明国の一部である日本という島国にはキリスト教の真理を受容しうる見識の高い人々が確かにいた。同時に、それを否定し、それとは別の宗教システムを作ることのできた人々もいた。それはすでに述べたように、国家神道を作り出した人々である。キリスト教は合法化され、教勢は伸びたが、それよりもはるかに強く、国家神道の浸透が図られたのである。とりわけ、それは初等教育を通じて。キリスト教もまた、教育を通してキリスト教の浸透を図った。ミッションスクールというのは伝道を目的とする。しかし、教育を通してキリスト教を布教するのは限界がある。それは学校を出たあとの生活は結局明治日本の文化的伝統に従うほかない。他方で地域の教会も一定程度大きくなるが、それは欧米文化を先進的なものとして受容した上流の階層であり、精神的には国家と親和的である。キリスト教の精神的な高さは確かに宣教師によって担保されていたが、国家主義・民族主義の支配力ははるかに強かった。それが強くなければ、欧米の植民地主義に対抗できないからだ。したがって明治のキリスト教は全体としては明治国家に忠実であったように思われる。しかし、例えば内村鑑三は不敬事件(1891年、一高不敬事件)で教職を負われるなど、キリスト教の原則を貫いた者もわずかに存在する。彼は明治国家には大きな疑義を抱いていたが、「日本」に対しては忠実であった。キリスト教信仰の普遍性と各地の風土や文化によって歴史的に形成されてきたそれぞれの国の特殊性を楕円の二つの焦点になぞらえ、それらを中心に日本国家のふさわしいあり方を構想したとされる。
しかし、日本におけるキリスト教の伝道は、遠藤周作が小説『沈黙』のなかで主人公に語らせているように、底なしの沼を進むようであり、キリスト教はこの国に根付かないという見方が一般的に受け入れられている。遡れば芥川龍之介が『神々の微笑』で日本の諸霊の強さに触れつつ、キリスト教伝道の限界を暗示しているように(これについては堀田善衛『海鳴りの底から』上巻の冒頭で知った)、多神教的日本での伝道の困難は昔から認識されていた。最近では、宗教学者の島田裕己が日本の特徴として一神教を拒む最も強力な国であるという見方を提示している(彼のブログから)。
さて、実りは聖書の言葉が蒔かれた土地によるという今日の聖書の命題にもどろう。今日のたとえ話によれば、以前マタイの話の方でも取り上げたように、キリスト教の発展は蒔かれた土地(町)の質によるのであれば、不毛な土地(町)に蒔かれたら努力の必要はなくなってしまうということになる。これは結局、そうした土地は放置しておけということだろうか。実は、マルコ6章(マタイでは10章)では、福音を受け入れない町を出るときには履物の埃さえ落として去れ、と命じられている。つまり、その町など無視せよというのである。実を結ばないイチジクの木への呪いの言葉もそうである。キリスト教はその福音の種を受容するところの以外の町には、非常に冷たい感じもする。あるいは危険なものでさえある。
種蒔く者のたとえやイチジクへの呪い、それに足の裏の埃さえ落とせという強い呪いのしぐさを見る限り、自分を受け入れない町や国は、結局呪われ、滅びるのだ、という一方的な決めつけあるいは信念に支配されているように見える。
確かにイエスは13節以下で蒔かれた土地の性格によって実りは決まってしまう。だからよい土地を選べと、弟子たちに勧告しているかのようである。しかし、本当にそれでよいのだろうか。イエスは前半の自分のたとえをそのように自分で解釈して教えたのだろうか。前半(1-9節)の種蒔く人と土地の話は、福音とそれが伝えられた町や国のたとえであるのだろうか。そして一方的で独りよがりの解釈をイエスが本当にしたのだろうか。
思うに、前半のたとえは後半の解釈とは別な解釈が成り立つのではないだろうか。
種蒔く人は神である。あるいはイエス自身でもよい。蒔かれた場所とは単純にその言葉を聞いた人である。聞いた人がそれを受け入れて実践すればそれは実り豊かになるが、それが実践できなければ、残念ながら実りはない、それだけのことであるという気がする。これはマタイで言えば山上の説教を聞いて、それを行う人は岩の上に土台を建てた人だが、それを聞くだけで終わってしまう人は結局砂の上に家を建てた人に似ているという話と、意図はほとんど同じであるように思われる。
蒔かれた種はイエスの教え、土地とはそれを聞いた人々、実るのはそれを実践した人。それの方がわかりやすい気がするのである。
しかし、土地という言葉にこだわると、後半の解釈が意味を持つように感じられるのだろう。しかし私は正直に言って、たとえの解釈を示す後半の理屈はよくわからなかった。サタンを登場させたり、迫害という将来の出来事を加えたりして解釈することに違和感を覚えたのである。思うにこれはイエスの解釈ではなく、マルコの解釈であり、すでに迫害がはじまり、キリストを受け入れない町との対立が深まっていることを前提にした、いわば対決を前提とした解釈なのではないか。だから、この後半の解釈にはどことなく冷酷な感じが漂うのではないだろうか。
こうした分断や対決、そして敵視は、後のキリスト教の伝道の方針を決定づけたように見える。全面的な福音化に応じなければ排除か、無視するか。これまでのキリスト教の大勢はそうした姿の気がする。だから、日本の伝道の困難を風土や文化のせいにして、それを否定的に捉えてしまうのかもしれない。遠藤周作はその典型であろう。
確かにキリスト教の伝道がうまくいかないのは風土や文化のせいであるとするのはわかりやすい。しかし伝わらないのは自分のせいであるということと裏腹ではないか。日本の福音化(キリスト教的植民地化)を呼びかけるいわゆる福音派の教会の不遜さを私は嫌悪する。この国には良かれ悪しかれ、相当な歴史的文化的伝統の蓄積があり、それを丁寧に紐解き、それらと対話しながら、そしてキリスト教自体の変容さえ視野に入れながら、キリスト教の「良さ」を伝えて行くことに尽きるのではないか。これまで、16世紀の植民地支配と19世紀の帝国主義的支配を前提にしたキリスト教の一方的な伝道、こちらに真理があり、遅れた文化文明にそれを伝えるというスタンス、意識的であれ、無意識的であれ、そうした態度でキリスト教なるものを上から目線で授けるというのではなく、それとは違うスタンスで改めて始める必要があると思う。
さて、「蒔かれた神の言葉は実ったか」という今日のタイトルの問いにどうこたえるべきだろうか。この種蒔きが大文字の「キリスト教」とか「福音」、つまり絶対的・排他的な真理として上から押し付けるような種蒔きであったとするならそれは失敗であろうし、それでよい。しかし、その言葉によって確かに新しい人生、豊かな人生、そして救われた人生を獲得した人がいたならそれは実ったのである。私は、日本が、あるいは町がどれほどキリストを受け入れたかという市場制覇の比喩で語るべきではない気がしている。もちろん統計的な数字は意味を持つだろうが、それはあくまでこれまでのキリスト教伝道を前提とした結果にすぎないし、形式的な信者の数(洗礼を受けたとか)の割合でしかない。キリスト教とは、本来苦難のメシアを自分の罪の気づきと共に受け入れることである。とすれば、信条を受容するとか、外形的にキリスト教を実践しているということと別に、より広い範囲で受容されているように見える。そのように考えた時、私は人口比でキリスト教の非力を嘆いたりするのはほとんど無意味にさえ感じる。キリスト教が伝わり、確かに人々を新しい豊かな生き方へと導いたのは、私は確かであると思う。その意味で、私は相当程度、実っていると思う。
希望的感想であるが、このたとえ話を批判的に読むことを通じて、もっと素朴でおおらかな福音の実践の大切さを取りだすことによって、これからのキリスト教は柔軟なものとなるのではないかと思っている。