砧教会説教2017年8月13日
「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神とともに歩む」
ミカ書6章1~8節、マルコによる福音書11章15~19節
本日はミカ書とマルコ伝からひと言お話ししたい。
ミカ書6章では、あらためて告発が開始される。1章ではヤハウェ自身が証人として登場したが、こちらでは山や峰、大地が証人として登場する。そして告発を語るのが預言者である。この預言者はもはや前8世紀のミカではないように見える。預言者の口を通じてヤハウェが自分の民イスラエルを告発していく。3-5節までがその内容であるが、3節でまず、「わが民よ。わたしはお前に何をしたというのか。何をもってお前を疲れさせたのか」と問う。「疲れさせた」の訳はフランシスコ会訳では「煩わせた」となっている。要するに、ヤハウェとの関わり、ヤハウェを信頼して歩むことに不満があるのか、と問うている。もちろん、預言者は民を責めているのだが、この言葉は注目に値する。神とかかわりを持つことは具体的に何を意味するのかという、今なお、いや今こそ問題となる問いであるからだ。この問いは、古代イスラエルの民に対する問いであると同時に、彼らの信仰を受け継いだキリスト教にとっての問いでもある。それも形骸化したキリスト教に対しての告発として。巨大な欧米を核とするキリスト教世界がかくも荒廃し、どう考えても神の意志とはかけ離れているこの現代にあって、「何をもってお前を疲れさせたのか」という問いは、「なぜ、お前たちはわたしを離れたのか」と言い換えることができる。このような問題意識は20世紀というヒューマニズムをもとにした科学技術の発展と過酷な戦争、経済の全地球化(グローバル化)の過程を経て生じた深刻な不平等世界に向けられるべき問いであると思うのだ(この問いについては改めて触れたい)。
さて、古代イスラエルの預言者的信仰は、自分自身の生きる世界、宗教的政治的文化的な世界それ自体を批判する力を持っている。その力の源は何か。それは創造主である神ヤハウェのみに信を置くという態度にある。そのような態度はそう簡単にまねできないが、少なくとも想像することはできるだろう。そのような態度を前提に、神自身の言葉を取り次ぐのが彼らの役目であった。4節―5節ではヤハウェ自身が歴史を回顧する。「わたしはお前をエジプトの国から導き上り、……」。ここでは出エジプト、荒れ野の旅、律法の授与とカナンの土地取得について短く言及している。神は、モーセとアロン、バラムとバラクのエピソード、シッティムからギルガルまでのこと、すなわちモーセの遺言(申命記)からヨシュアによるヨルダン川の横断までの経過を思い起こすよう促す。これらはすべて、「主の恵みの御業」である。この5節の言葉はすでに預言者自身の言葉に代わっている。預言者は主の名によって語りながらも、その言葉は実は預言者自身の意思であることを時に露わにする。
要するに、これらの一連の過去の歴史は主の救いの業である。それは恵である(原語はツェダコート、もろもろの正義の業)。もちろん、その過程において、様々な試練も含まれるが、全体として神との関わりは「恵み」であり、「救い」であったはずである。その中身は、土地の分配の平等、民のうちにある困窮者の権利の擁護であった。そして本来、王の支配もない、相互に自由な部族の連合体としてあった。それなのになぜイスラエルは神との関わりを「疲れ」と感じるのか、というのが神(あるいは預言者)の問いかけである。本来、恵みや救いは民の困難を見たヤハウェの慈しみ、愛の行為であった。しかし、今やその歴史を忘れ、王国をつくり、民を搾取し、イスラエルの社会を歪めてしまった。その結果深刻な危機を招来したのであった。おそらくこの預言者はアッシリアの攻撃と属国化の時代を経た後のイスラエル全体を視野に置いているであろう。
この預言者の視点に立つと、当時のエルサレムと王国全体が、そうした超越的な神との関わりを求める社会の在り方を事実上、絵空事、非現実的なことであるとみなし、強い者が強く、弱い者はそれに従う、富める者はその自由において富むのであり、貧困はその人の力の不足か、怠惰であるか、運命であると考えていたように見えたのであろう。
5節は過去の恵みの業を思い起こせという勧告でとどまっている。これに続けて6節では、おそらくこの勧告を読んだか聞いた人物がこれに触発されて、自問自答して書き込んでいるように見える。「何をもって、私は主の御前に出て、いと高き神にぬかずくべきか。焼き尽くす捧げものとして、当歳の子牛をもって御前に出るべきか」と問い、さらに「主は喜ばれるだろうか。幾千の雄羊、幾万の油の流れを。わが咎を償うために長子を、自分の罪のために胎の実をささげるべきか」と問う。彼は犠牲によって神をなだめ、取引するという古代から宗教儀礼の価値を問うのである。彼はもはやそうした犠牲に意味や価値を見出せない。このような批判と思考の転換はすでにイザヤ書1章11節以下でイザヤ自身において示されていた。すでにかつて何度か言及したが、古代イスラエルの宗教は犠牲宗教の面を色濃く残すと同時に、他方でそれらの無効性を訴えてもいたのであった。
そしてこの預言者ないし改訂者は8節の言葉を語る。「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかはお前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神とともに歩むこと、これである」。これは原則的な表現であり、漠然としているので、当然解釈を要する。
8節前半「主は何をお前に求めておられるかはお前に告げられている」とある通り、正義を行うとは、具体的には神の律法であるモーセの律法(申命記)の教えを守ることであるが、宗教的な祭儀を行うことも当然含まれる。しかしすでに見た通り、神との取引としての犠牲は無効であるとされているために、より根本的には、十戒を前提とした解放の神への帰依と、社会的正義、つまり各人の尊厳、家族の安定、共同体の安定を守ることである。慈しみを愛するとは、共同体の中で没落した者(寡婦や孤児)、寄留者などの生存権を守ることである。へりくだって神とともに歩むとは、ひたすら神ヤハウェの支配を認め、それに帰依して歩むということだろう。このような一見凡庸に見える勧告であるが、このことの実現は簡単ではない。なぜなら、この預言者ないし改訂者にとって、自分の周りの世界はこのような言葉が理解されなかったからである。むしろ、世界帝国による支配が当然の時代となり、過去の遺産としてのモーセの律法を実現して生きることは、もはや非常に困難であった。その中にあって、預言者とそれに連なる者たちは、あくまで理想を提示し続けたのである。
この預言者の時代から数百年の後に現れたイエスは、古代イスラエルの預言者的伝統を色濃く保っているといえよう。「宮清め」と一般に称される出来事を描く本日の二つ目の箇所は、イエスの預言者的性格を伝えている。彼はエルサレムにきて、神殿の境内で犠牲にまつわる商売をしている人々を力ずくで追い払ったという。イエスはイザヤ書56章7節の一部を引用し、この行為を正当化しようとした。しかし、イザヤ書56章7節の前段は、異邦人が正しい犠牲を捧げるなら、「わたしの祭壇で受け入れる」とされているのであって、犠牲を積極的に認めているのである。つまり、イザヤ書56章は非常に包括的で寛容な姿勢を打ち出しているのである。しかし、イエスはそうした文脈を無視して、この境内とその先の神殿を強盗の巣と呼んだ。すべての人の祈りの家であるということは、金で犠牲を買ってそれを捧げることのできる人間にだけでなく、そのこととは無関係に、あるいは無条件にということを意味する。すなわち、神の神殿はお金とは無関係に祈りの場であり、それはお金と犠牲に深く関与している宗教的特権階級、すなわち祭司たちに対する決定的な挑戦であった。
それゆえ、祭司長や律法学者はイエスを暗殺するほかないと決意する。イエスは先に見たミカ書の預言を残した人とは違い、言葉だけの人ではなく、その言葉を実現しようとしたのである。ここにおいて、イエスはすでに預言者ではなく、メシア、すなわち実現する者である。すでにイエスは言葉の人ではなく、行動の人であった。しかし、イエスの姿勢とミカ書で示された姿勢は重なっている。要するに、神との犠牲を通じての取引によって平和や健康が守られるといったこと、そしてそれのできない者、しない者はかえって災いを受けるということ、こうした観念をイエスもまた明確に打ち消したのである。
さて、私たちはこのような預言者やイエスの言葉と行動をどのように受け止めたらよいだろうか。第二次大戦から72年を経た今、あの日本史上最大の悲惨さえ、このわずかな年月の中で記憶から消されようとしている。象徴的に行われる儀式を重ねるだけで、良しとするわけにはいかない。あのような悲惨になる前に人はどう行動すべきかを考えるべきである。そのためには起こってしまった戦争の悲惨だけでなく、その前の段階を検証すべきである。すでに言われて久しいが、私たちはもはや「戦後」を生きているのではなく、新しい「戦前」を生きているからである。東アジアの国家的緊張が高まる中、国家的レベルでの言説にのみ寄りかかるのではなく、真の平和的な人間の在り方の理想を常に意識し続けた人々の言葉を想起すべきである。そのことができるのは、この国では事実上キリスト教徒やそれに連なる一部の人々だけかもしれない。なぜなら、我々はすでに見てきたような「理想」を希望として持ち続けているからであり、それを通じて、この世界の崩壊を食い止めることができると信じているからである。
8月15日を前に、日本に住むキリスト者として、預言者の言葉とイエスのあの神殿での叫びを深くかみしめたいと願う者である。