日本キリスト教団砧教会 (The United Church of Christ in Japan Kinuta Church)

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砧教会説教2018年1月14日
「神の協力者は広い心を持つ」コリントの信徒への手紙Ⅱ 6章1節~7章1節
 今日のタイトルはパウロの自画自賛の言葉である。神の協力者とはパウロ。そのパウロが、コリントの頑なな信徒に対して、辛抱してその心を何とか解きほぐし、再び信仰を取り戻させようとしているように見える。彼は私たちが思うほど謙遜ではなく、かえって厚かましいと思えるほどである。この手紙は先に進むほど、そのような感じが強くなる。このことを裏返せば、コリントの教会は彼からこのように口酸っぱくたしなめられなければならないほど、荒れていた、あるいはパウロから見て道を逸れていたのである。
 さて、彼は冒頭自分を「神の協力者」と呼ぶ。つまり、神からの使命を帯びて、神の救いの業の実現を宣教する者である。この点、神の審判を告げていた古代イスラエルの預言者に似ている。しかし預言者たちは事実上イスラエルに遣わされたのであり、彼らの立ち返りのために神の言葉を取りついだのだった。一方、パウロはイスラエル(ユダヤ人)のためだけではなく、異邦人も含めて、すべての人間に神の救いの実現を宣教している点で、大きく異なっている。彼の射程はかつての預言者のそれよりはるかに広いのである。
 彼はコリントの人々に向かって言う。「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」。そしてイザヤ書49章8節を引用して(「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」)、今がその時、すなわち救いの時であることをはっきりと認識するよう促している。ユダヤ教の考えでは、神はすべてにふさわしい時を用意しているとする。これについては、よく知られたコヘレトの言葉3章1-8節に明らかである。すべてのことに「時」があるということ。パウロの確信は、救いと恵みの時は今なのであるということだが、この確信を多くの人間に共有してもらうために活動している。これが「神の協力者」であることの中身であろう。
 ところで、このパウロの確信は彼の生きたその時代において有効だとしても、2018年を生きる私たちの「今」にとって意味を持つのだろうか。彼の言う「今」というのが、歴史的な時間軸の上での話ならば、もはやそこから遠くへだった時代を生きるわたしたちに関係のないこととなる。パウロ自身は、パウロの時代を超えた時代を想像しているとは思えないが、コリントあての手紙を読んでいる2018年の私たちにとって、彼の言う「恵みの時、救いの時」というのはやはり私たちにとっての「今」であるほかはない。そして、彼が宣教して歩いているイエス・キリストの出来事を知った人々のその時が「今」なのである。
 それでも、パウロの手紙を読むだけでは結局不十分である。なぜなら、そこにはイエスの生涯の最後の部分しか、つまり十字架と復活しか話題にされていないからだ。それゆえ、後の時代を生きる者は、どうしても「福音書」を必要としたのである。これがなくて、パウロの手紙だけでは、「恵みの時、救いの時」に対する深い感動、理解、そして受容はやはりあり得ないと思うのである。では、コリントの人々がイエスの出来事を全体として知っていたのか、そしてそのことを通して神の救いの業が実現していることを感じ取っていたのだろうか。彼らをたしなめているパウロの言葉からすると、エルサレムから遠く離れたコリントの人々が、ガリラヤのイエスの姿、つまり十字架に至るまでの彼の愛の行動を知っていたとは考えにくい。それどころか、単に新しいご利益宗教として、あるいはある種の偶像崇拝のようなものとして受容していただけなのかもしれない。
 このことに関連して思うのは、日本における仏教の受容の在り方についてである。仏教も一人の預言者的メシア的人物(ただし模範的預言者)であるゴータマ・シッダルタが見出した最終的な悟り、あるいは「覚」において人間は涅槃に至るということだが、それはやがて修行だけでなく呪術によって強く影響され、日本に来た仏教はそもそも仏像のもつ諸悪を調伏する力への信仰であった。さらに平安時代には仏教は結局ほとんど呪術(つまり密教)であり、天変地異や病魔を調伏する強力な力として受容されたのである(速水侑『呪術宗教の世界―密教修法の歴史―』塙書房、1987年)。これは非常に長期にわたる仏教受容の過程における仏教の変容であるから、パウロの時代の問題に類比的に当てはめることはできないが、後にイエスが「治癒神」すなわち病気直しの神として民衆の信仰対象となったことを考え合わせるなら、コリントにおけるキリスト信仰がパウロの考えるものとは大きく異なったものになっていた可能性もあるのではないだろうか。
 さて、パウロは相当程度懸念や疑義を持っているようであるが、それでも彼は「わたしたちはこの奉仕の務め(神の協力者として働くこと)が非難されないように、どんな人にも罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています」と自分を弁護している。彼は自分たちの働きがだれかに不満や怒りを呼び起こし、その結果その怒った人々に罪を犯させてしまう(つまりパウロたちを迫害したりする)ことのないように、慎重に行動しているのだと主張する。そして「大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、……においても、純真、知識、寛容、親切……によってそうしています」とやや修辞的に誇張して語る(4-7節)。さらに彼は「わたしたちは人を欺いているようで、誠実であり、人に知られていないようで、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、……」(8-10節)とこれまた修辞的に執拗に語っている。彼らはいわば切り立つ尾根を歩いているかのように、どちらにも転ばず、先に進みつつ、神の協力者として歩み続けているのである。
 このような、やや自賛めいた言葉を読むと多少辟易してくるが、パウロは決して倦むことなく、あきらめることなく、そして投げやりになるのでもなく、自らをたしなめながら、神の協力者としての自覚を強めていくのである。
 そして「コリントの人たち、わたしたちはあなたがたに率直に語り、心を広く開きました。わたしたちはあなたがたを広い心で受け入れていますが、あなたがたは自分で心を狭くしています」と批判的に語る。この言葉そのものがなんだか心狭いという感じがしなくもないが、やはりパウロはここでは率直に語っているのだろう。そしてコリントの人々の悔い改めを強く望んでいる。もちろん、広い心で。そして、コリントの人々にも同じような寛容を求めて、この断章を結んでいる(13節)。
 その後でかなり強い勧告を語り始める。その内容は非常に険しいものである。パウロを受け入れる心を持てば、この世のさまざまな誘惑から自らをはっきりと切り離せるはずだという。パウロの勧告は非常に分離主義的、つまりファリサイ派的となる。正義と不法、光と闇、キリストとベリアル、信仰と不信仰、神の神殿と偶像、こうした対立的な言葉を連ねて、常に前者の側に立つことを求めるのである。その際、旧約聖書の断片を複数引用し、神との新しい契約がなされたこと、それゆえにこの世の汚れから身を引くことを呼びかける(16-18節。16節についてはレビ記26章11-12節、エレ32章38節、エゼ37章27節、17節についてはイザ52章11節、エレ51章45節、エゼ20章34節、18節についてはサム下7書8節、14節、イザ43章6節、エレ31章9節、ホセ2章1節参照。この注についてはフランシスコ会訳の当該箇所による)。
 パウロはやはり、非常に伝統的なユダヤ教の流れに身を置いてきた故、神との契約における分離主義的な発想になるほかはないのかもしれない。もちろん、このような思想は、異邦人世界において新しく登場したキリスト教を守り抜くために必要であっただろう。しかし、それだけでなく、かえってこのようなユダヤ的な決然とした生き方を異邦人も含めた新しい共同体、すなわちキリスト教会において実践することが、やはり圧倒的な新しさであったのだろう。これまでのユダヤ教ももちろん分離主義だが、それは結局ユダヤ人というある種の血統主義のような閉鎖的な集団性に基づくものだったが、キリスト教はすでにそうした閉鎖性はない。それゆえ明らかな形で自分たちのクリーンさ、純粋さ、豊かさを表立って主張しえたのである。
 このことは非常に重要である。私はこのパウロの分離主義的、ファリサイ派的な姿勢に疑問を持ってもいるが、かえってこのような倫理的高さを表立って、そしてユダヤ人もギリシア人もなく自由に主張する集団の存在はやはり決定的だったように思う。それは明治に入ってキリスト教が日本に改めて入ってきたときの、日本の人々の宣教師たちの倫理的高さへの驚きとその影響の強さを思い浮かべればわかる気がする。あの時代のアメリカの宣教師たちは、あの時代のアメリカの最も優れた人々であったように想像する。
 おそらく、初期のキリスト教はなにかそうした清廉さと強さ、そして前向きな姿、そして非常に深い愛を持っていたのだろう。そしてそのような姿は、大きな感化力をもったのであろう。
 それゆえ、彼はこう勧める。「愛する人たち、わたしたちは、このような約束を受け入れているのですから、肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を恐れ、完全に聖なる者となりなさい」(7章1節)。これがパウロ的なキリスト教であり、結局ファリサイ派的主張である。パウロの思想はファリサイ派の主張をユダヤ人の外に解き放ったもののように見える。
 このような清廉さ、そして分離主義的な態度は、ある種の危うさを含むことになるが、この強さゆえに、あの時代の荒波を越えて生きることができたのかもしれない。ならば、この時代、2018年のこの時代を生きる私たちは、このパウロの言葉を通してどんな生き方を具体的にすべきであろうか。今日はそのことを問いかけて閉じたいと思う。